阿部一族

昨年戦前の前進座の映画「戦国群盗伝」*1を観て面白さを感じて以来前進座の映画をちょこちょこと観ている流れでの「阿部一族」鑑賞。前進座による映画(熊谷久虎監督)と深作監督のTV版と見比べテイストがあまりに違うので森鴎外の原作も読んでみた。

二作とも基本は原作にあることがベースにはなっているけれどこうも監督によってそして媒体によって出来上がりが違うのだと痛感。

深作版は、原作に

市街戦の惨状が野戦よりはなはだしいと同じ道理で、皿に盛られた百虫の相くらう*2にもたとえつべく、目も当てられぬさまである

というここばかりは忠実に血みどろで、メリハリ濃いめ。石橋蓮司が演じる 殿の側用人林外記のイヤな感じがサディスティックに強調されていた。女の姿も妙に情に訴えるような描き方で後味があまりよくない。

元々一族の長、阿部弥一右衛門が亡くなった主君より殉死の許しを得てないというところから殉死のタイミングを逸し、世間に冷たい目でみられたりするところからことが起こるのだが、深作版ではこの弥一右衛門を山崎努が演じ貫禄十分・・すぎて、弥一右衛門が世間に負けるのが意外にもみえる。そのあと、切腹するも許しを得てないというところがネックになり、息子も冷遇、そこで蟹江敬三演じる息子がブチ切れて乱心ともとれる行動・・というところはとてもヴィヴィッドな演出。そのあと弟佐藤浩市を中心に武士として闘って果てるぞというなんだか勇ましげな物語になっていた。前進座版にも出てくる隣の武士とのやりとり、こちらは深作版では真田広之が演じていて二人のシーンは悪くはないが、アクションエンターテイメント的な感じにみえた。

 

前進座の方は原作にない、武士にあこがれる加東大介の姿がよいアクセントになっている。そして、阿部一族の次男、弥五兵衛を中村翫右衛門が演じ、その盟友であり、前進座のツートップである河原崎長十郎が隣家の武士柄本又十郎を演じることで、二人の友情、そして阿部一族が逆賊と認定されてからのやるせなさが丁度良い頃合いの情感で描かれ、ぬくもりのある作品になっている。

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そして原作。中央公論社の「日本の文学 森鴎外 二」で読んだが、人物が出てくるたびのその人物の説明が詳しすぎて読むのが登山めいたりも。

この本には大岡昇平の解説がついていてそれはとても読みやすく面白かった。森鴎外というのはかなりバランスをとる人物で、明治政府の中での生き方は妥協的なところも。そして、江戸時代のリアルを求めるための古書あさり。ああなるほどそれで原作はそれぞれの立場のひとの気持ちが丁寧に書かれていて、深作版のような善悪くっきりのものではないのだな。そして、なんだかえらく細かい歴史説明。

前進座版でかなり観ているものをひきつける描きかただった阿部以外の殉死者や宮本武蔵についても原作ではさらっとした描きかたで、原作を読んで熊谷監督演出の面白味が感じとれもした。

 

 

 

*1:「戦国群盗伝」「国定忠治」「六人の暗殺者」 - 日常整理日誌

*2:文字が出てこない 口へんに火が重なっているような文字

がめつい奴

CSで放映されなんとなく録画していた「がめつい奴」(1960)。監督が最近立て続けに観ている千葉泰樹と知り観てみる。

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釜ヶ崎の自称「ホテル」が舞台。(黒澤明の「どん底*1のような住環境。)生き馬の目を抜く人々の暮しっぷり。戦前その場所にあったお屋敷の下女中だった女(お鹿婆さん)とその家族がそこを占拠し宿賃を取って暮らしている。(昭和の「パラサイト」*2???)

菊田一夫脚本のこの作品は大ヒットしたらしく、吝嗇な主人公「お鹿婆さん」という名前は1960年代前半生まれの自分も幼少時から知っていた。(お年玉を使わず貯めこもうとしたらその名で呼ばれた。)

森雅之が下町風のとんでもない汚れ役を演じていて「悪い奴ほどよく眠る」*3でみた老け役以来の驚き。はじめ誰だかわからなかった。凄い。

若き高島忠夫がおしか婆さんの息子役だが軽妙でとってもいい。今まで観てきた高島さんの姿の中で特にいいと思う。

中山千夏の子役も堂に入っている。

森繁久彌が関東からやってきたお鹿婆さんの義弟、大阪生まれの森繫の関東弁がうさんくさくていい。

ちょっと出てくる警官役が加東大介だったり、とにかく役者ぞろいで濃くてエグい話をテンポよく楽しんでしまう。

 

観終わって、父が生前映画や演劇を録りためていた棚をみていると、渡辺美佐子のお鹿ばあさん、ラサール石井がその息子でサンシャイン劇場で演じられたNHKの舞台放送録画があった。1992年〜1998年にかけて蝉の会というところがサンシャイン劇場や地方公演を行っていたらしい。

こちらの方もみてみた。渡辺美佐子のお鹿ばあさんは、ちょっと愛嬌があるし、映画では具体的すぎてえぐいシーンも舞台で抽象化されみやすくなっているように思う。森繫がやっていた役を犬塚弘さんが演じているが洒脱でとてもいい。気になったのはお鹿ばあさんの息子の関西弁がもうひとつだったところだけ。映画版では草笛光子が演じていたお鹿ばあさんが占拠した土地のもともとの持ち主のお嬢さん、三田和代という人が演じているが、これがまた男性で人生を曲げさせられる感じがもうたくみで!一目でわかる彼女の境遇。感心してしまった。

蝉の会による「がめつい奴」について検索してもあまり情報が出てこないが、観て損はない忘れられてしまうのは惜しい代物であった。

 

OK牧場の決斗

 

ワイアット・アープものを色々観ている流れでこの作品も鑑賞。

冒頭流れる音楽とても聞き覚えのあるものだった。

youtu.be

全体的な雰囲気も子どもの頃テレビの洋画劇場で親しんできたようなオーソドックスな西部劇の匂いがする。ビクターから出ているビデオには双葉十三郎さんが1957年「映画の友」の7月号に載せられた原稿が許可を得て転載されていて「芸術的香気こそフォード作品(荒野の決闘)に一歩ゆずるとしても、面白さにおいては優るとも劣らない」と書かれているが、私は「荒野の決闘」の方が簡潔にまとまっていてドンパチに力が入っているわけでもなく茶目っ気もありみていて退屈しなく、ずっと好きだったな。こちらは少し長く感じた。

ワイアット・アープの敵のクラントン一家の中でまだ心の柔軟な若き弟ビリーと、ワイアットのやりとりがこの映画の中で一番面白い部分だった。ビリーを演じたのはデニス・ホッパー。純粋な感じがとても出ていて、中年以降のデニス・ホッパーの印象が強い自分には驚き。

ワイアット・アープはバート・ランカスター。双葉さんに「口ひげなしの新型ワイアット」と書かれている。確かに画像検索で出てくるワイアット・アープも口ひげがあるし、いままでみたワイアット・アープものは全部口ひげありだった。

盟友ドク・ホリデイはカーク・ダグラス。この人がマイケル・ダグラスのお父さんか、と思いながらみた。ドクの方がワイアットよりいつも色気のある役で必ず女のエピソードが出てくる。

ビデオジャケットには「遂にきた男と男が男を決めるとき」とあるけれど、女はあまりちゃんと描かれているとは思えない。双葉さんは解説でドクの彼女ケイトのことを「ジョオ・ヴァン・フリイトのような練達の女優をキャストしたことからも(監督)スタアジェスがいかにこのケイトを重く見ていたかがわかる」と、あるが、自分にはちょっと何を考えているのかわからない、いまいち魅力に欠ける描きかたにみえてしまった。(腐れ縁的なものを外からみている感じか?)ワイアットの恋愛話に至っては双葉さんも「このロマンスは残念ながらつまらない。彼女があらわれる場面は陳腐でダレる」と書かれている。まあそこまでひとくもなかったけれど。

ドラマ性より史実重視で人気のなかったカスダン監督の「ワイアット・アープ」を観ておいたのも背景理解には一役かったなとは思ったりしている貧乏性で必死な私。

トレマーズ

 

1990年 ロン・アンダーウッド監督作品

twitterで映画アカウントの方がほめておられたのだったか?動機がはっきりしないが、いつか観るつもりのメモに載せていたので借りてみた。

(→追記:ふや町映画タウンのおすすめに入ってたから借りたことにあとから気づく)

ジャケットからパニックムービーね、なんで借りようとしたのかな?という感じだったのだけど観てみるとうまい作りで全く退屈しない。

自分にとってリアリティを持つ犠牲が出るまで事態を軽くみて警鐘を鳴らす人間を相手にしない感じとか、みんなが我慢しなきゃいけないシチュエーションで耐性ないゆえに高まるストレス→ギスギスからの内輪揉めなども恥ずかしながら経験ずみでその辺の表現が丁寧なものだから他人事とは思えない心持ちで手に汗握ってしまった。それにもってきて類型的なパターンではこの人はこうなるというこちらの予断をうまく裏切ってくれる展開もあったりして作品にさらに引き付けられる。

闘うべき生物の造形はヤマタノオロチをちょっと思わすようなところのあるもの。地中におり、揺さぶられ、日常の安全地帯が脅かされる感じは地震も思わすが、闘えるところに妙味がある。

地震調査の女子研究者の配置も旧来の映画とはちょっと違う感じで好ましい。

ハリウッド作品あまり観ていないもので、「ミスティック・リバー」の刑事、という認識だったケヴィン・ベーコンのちょっとやんちゃな活躍ぶりも新鮮。ガンマニアの姿からは「ウィンチェスター’73」*1などの西部劇と近しいものを感じたし、ヒーロー一極集中でない形は「七人の侍」的な数々の好きな映画の香りも。

あとで調べてみるとこの作品、人気があり派生作品もたくさん作られているらしい。うん、なるほど。テンポも良かった。

七人樂隊

septet-movie.musashino-k.jp

昨秋、香港映画の面白さに目覚め、ちょっとまとめて観るようになったのだが、そのもともとのおこりはジョニー・トー監督の「ザ・ミッション」*1や「暗戦」*2のシャープさ面白さに出会ったこと。彼が中心になって香港の七人の映画人が往年の香港を思いながら競作したこの作品が近所のミニシアターにやってきたので観に行った。

ジョニー・トーの「ぼろ儲け」は、投資で一儲けしようかなという男女三人のランチタイムの会話が時系列に並べられているのだけど、登場人物がぎらぎらしていなくなんともいえないおかしみや教訓がありシャープなんだけど温かいあの作風やっぱり良いなあとなった。

カンフーアクション系監督で好きになったユエン・ウーピンの「回帰」もものすごい好み。カンフーの達人のおじいちゃんのところにイギリスに行く前に少し逗留する孫というちょっとみたことのあるようなストーリーでも私はこういうのが滅法好きで。先日から注目している中華圏の英雄ウォン・フェイホン*3もおじいちゃんの観ているテレビに(役の上で)出てきた。ユエン監督の作品、アクションシーンのかっこよさあり面白みあり愛嬌愛情ありでとってもいい!

リンゴ・ラム監督の「道に迷う」は、主人公のおじさんの変わってしまった香港の風景に戸惑う姿や、ふと気がつけば、かけ離れた存在だった親と同じような年齢になり親が若い自分にいってたことが今ごろよくわかる、みたいな感慨などがもう自分と同じだーという思いに。

ツイ・ハーク監督の「深い会話」は不条理でよくわからない部分も大ありだったが、ジョニー・トーの映画でいい味だしてるラム・シュウが出ているのと、アン・ホイ監督がひょいと顔を出したりされているのは香港の監督たちが力をあわせて作ったものだなあという実感が迫ってとても嬉しい。アン・ホイ監督作品、90年代にいくつかみていたが今回の「校長先生」も彼女らしいものでそこも喜ばしかった。

四月の魚

 

高橋幸宏さんが亡くなられた。自分たち50代後半夫婦にとってYMOは10代後半から20代前半にどっぷり浸ってアルバムが出るたび追っかけ、娘(30代前半)の友人が「ライディーン」など聴いているのをみると嬉しく思ったりしてとても身近な感覚を持ち続けていたグループだ。音楽的な追悼の言葉は持ち合わせていないけれど、せめて、と、幸宏さん主演の大林監督「四月の魚」(1984)を鑑賞。

少し耳にする前評判などから怪作の予感はしていたが。。。原作はジェームス三木の小説で設定がおっさんくさい。幸宏さん演じる休眠中の映画監督が世話になった南の島の酋長の接待のため妻を提供しなきゃいけなくなってとかいう、今ではちょっと何重にも驚くような筋書き。幸宏さんの追悼でお人柄の良さをよくきくが、本当によくこの仕事を引き受けられ完遂されたなあという感じも。ま、YMOの人たち色んな仕事をしておられるものな。幸宏さんはお料理がえらくうまく蘊蓄家という設定なんだけどフランス料理を作るシーンなどはとてもナチュラル。ピンクハウスやインゲボルグなど当時流行りのデザイナーズブランドの服が出てきて、ちらっと映るディスコや豪華な美食などはとても時代の空気を吸い込んでいる。脚本は内藤忠司、大林宣彦、ジェームズ三木と三名の名前が並ぶがちょっと粗い気が。こんなことするかな?というシーンが多々あり。80年代、俳優でなく著名人を使った企画などが散見するけれど*1そんな流れの中で生まれた作品なのかな?まあ大林監督作品には時々びっくりさせられるがこれもその一つだろうか。。

「四月の魚」という言葉はフランス菓子に詳しいパティシエの方からきいていた。エープリルフールに魚の形のチョコレートを送ること。映画ではウソと真実のあわいみたいな形で使われていた。

*1:まず思い出したのは「俗物図鑑」。あちらにも大林監督出ておられたことを確認。

女優ナナ

昨年秋に観た映画「SING」*1に元女優のナナなる大金持ちの老嬢が出てきて名前だけの知識である「女優ナナ」を知りたくなった。手っ取り早いところで映画にて鑑賞。

 

観たのは、ジャン・ルノワール監督版(1926)とクリスチャン=ジャック監督版(1955)。

 

www.allcinema.net

ルノワール版、2時間越えのバージョンについても検索したら出てくるのだが、私が観た東北新社から出ていたビデオは101分。ナナになったのが当時の妻カトリーヌ・エスラン(へスリング)。監督の父のオーギュスト・ルノワールの裸婦のモデルにもなっている人物とか。

ルノワール監督の映画をそんなに観ているわけではないが、物事をさらっと面白く描写するイメージを持っている。滑稽とも思えるような欲望にかられた人間のエピソードを描いていくところは楽しめたのだけど、全くの無声で、モノクロ、俳優さんになじみがないもので、属性が似ている人物は少々区別がつきにくく(もしかして短いバージョンで、どこか省略があったせいか?)結果少しもやっとした感じで終了してしまった。

 

次に観た1955年版

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こちらは、ナナにぞっこんになるミュファ伯爵をシャルル・ボワイエが演じ、元々は堅物なのに踊り子のナナに入れ込んでしまうその心のうちの跳躍、彼の考えている愛情とナナや奥方の思いのずれが観ていてとても分かりやすく表現されていた。

ナナを巡る他の男性の輪郭もとても明瞭で、それぞれにこの人ならそうだろうなという説得力があり、全くもって退屈しない。

美術も凝っていて、ナナの衣装もたのしめる上にミュファがナナのために建ててあげる豪邸とはいえ趣味が悪い調度品なんてところにもミュファ伯爵のまじめな野暮天ぶりが表されていたりしてとっても面白い。クリスチャン=ジャック監督作品やシャルル・ボワイエ出演の他の作品も観てみたくなった。

 

と、ここまで朝に書いてなんとなく一日「ナナ」の余韻に浸っていたのだが、この二作品、大いに違っているのがラストで、ケレン味溢れていてなんだかオペラみたいと思ったのは55年版なんだけど後からじわっとくるのは、ルノワール版かなあと思ったりもしている。愛情について静かにかかれた絵本を読んだ後のような感慨もあるなあと。