甲斐荘楠音の全貌展

国立京都近代美術館で「甲斐荘楠音の全貌」展が開催されている。

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甲斐荘楠音の作品にはじめて触れたのは岩井志麻子の怪談小説「ぼっけいきょうてい」の表紙。

 

なんとも不気味な・・という印象だったのだが、映画で衣裳考証のところでよくお名前を拝見、今回の近代美術館の展覧会も絵画だけでなく演劇や映画に越境する個性を取り上げるということで展覧会に出かけた。

 

Instagramに美術館の学芸員の方の説明があがっているがこれがとても充実。近年美術館の見せ方確実に進化している。

 

 前編

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後編

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旗本退屈男」は市川右太衛門がド派手な着物で活躍する映画、という認識のみだったけれど、今回の展示で衣裳はまさに絵画のように随分趣向が凝らされていて、一本の映画の中でも何回も衣裳替えして撮影していたことを知る。

甲斐荘の作ったスクラップブックも写真の集め方貼り方がとてもモダンで面白く楽しい。

図録も、甲斐荘が衣裳考証した作品がノンクレジットのものも含め記載されており充実。そんな流れの中でリストに載っていた「源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶」(S37 伊藤大輔監督)を観る。

 

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シリーズ第三作目。錦之助が二役で源氏九郎という義経の末裔かといわれている白衣の剣士と、人形芝居小屋のものたちと仲間のいなせな男を演じている。

演じられる人形芝居はひものようなもので遣い手と結び、一人で遣っている。

白衣の剣士が使うのが秘剣揚羽の二刀流ということで、源平合戦のスピンオフ的な設定と思われる。白い装束でお姫様のために活躍するところ、そして二役でどっちがどっちみたいな設定になっているところは狐忠信っぽさ。

これに丹波哲郎演じる遠山の金さんをからめてあり、丹波哲郎は若くてしゅっとしているし、金四郎みたいにちょっと悪い遊びもしてそうだなという気配があり面白い・・が、いざとなったらきちんとお裁きをする人間というよりどっちかというとちょっと悪だくみとかしてそうな人間に見える。

錦之助の手先となってちょこまか動く男に多々良順。時代劇姿自分には珍しい。現代劇よりアク少な目でよかった。

複雑な構造にしすぎてストーリーとしてはちょいとわかりにくい気もしたが、娯楽作なので深く考えずにその場その場を楽しめばいいかな。女性がやられる時の構図(襦袢とのとりあわせ、角度など)に自分は甲斐荘楠音ぽさを感じた。

わが映画人生

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国立美術館クラウドファンディング“『わが映画人生』デジタルファイル化プロジェクト”で、日本映画史上、唯一無二の“監督による監督のインタビュー映画”『わが映画人生』(日本映画監督協会製作)約110篇のファイル化が完了。京都文化博物館でその成果のお披露目会ということで、11日の田中徳三監督の回と12日の澤島忠監督の回に観に行ってきた。

 

3/11 田中徳三監督の回では、助監督時代の現場の話がなかなか興味深く。田中監督は溝口監督にも黒澤監督にも助監督として就かれたが、絵コンテをきっちり用意し、それに沿って作らなければならない黒澤監督と現場から出てくる空気を拾おうとする溝口監督の差がすごくあったと。溝口演出でダメだしはされるけれど、指示をしてもらえず「(役の心を)反射してください」なんて命じられ追い詰められる話を読んだりしたが、なるほど「厳しい監督」でも方向性はまるで違うんだな。宮川一夫カメラマンは、黒澤監督の時はいわれたように撮っていたが溝口監督の時は好きなように自分でアングル等決めて勝手にやっておられたとか。面白い。

助監督時代、勝新雷蔵さんの駆け出しからつきあっていたから、勝新なんかも「悪名」の時なんかは、割合我を出さないでこっちの指示に従ってくれた・・その前の「不知火検校」までは本人にあわない長谷川一夫風の役をあてがわれてぱっとしなったし。「悪名」は、はじめの二作で終わりたかったから田宮を殺したのに、その後兄弟として生き返らせることになって・・正味はじめの二作だけがイイ。という話。「続悪名」のラストは当初考えていた雑踏の中のロケが間に合わなく無理やり現行の形にしたが、それが評判良かったとのこと。もう一回観ないと。

学生時代は海外の演出論の本など読んでいたが、監督業をしていて一番怖かったのは役者が下手な演技をしている時、照明がしらーっとしているその目だった・・批評家なんかよりずっと恐ろしい。ああいう人が一番わかっているのだからという話は特に心に残る。

インタビュワーは土井茂監督。田中監督のチーフ助監督をたくさん務められた。田中監督は勝新雷蔵さんのことも「かっちゃん」、「らいちゃん」、そして土井監督のことは「どいちゃん」とずっと呼んでおられた。実は、土井監督は、父の大学映画部時代からの友人であり、うちの父のことずっとちゃんづけで呼んでくださっていた。大映映画とそこで奮闘しておられた監督の時代に特別の思いを馳せるひとときだった。こぼれ話もすごく面白かったのに・・連続で二人分みて忘れかけている・・カメラマンと監督は割合仲悪い・・「炎上」でも決裂あったとか・・そんな話。

 

3/12澤島忠監督の回。人懐っこくて話し上手。観客、東映の現場にいらっしゃった方では?という感じの方多かった。とにかく澤島忠監督の映画を愛していた人々だなあという空気。監督の愉快な話術にひきこまれ、皆声を出して笑う。いい雰囲気。

先輩内田吐夢に批判され、言い返して机ひっくり返されそれっきり会ってない話など絶品。監督の映画は歌舞伎やミュージカルの要素が生きているもの多く、ほんとにテンポよく楽しませてもらうけれど、幼い時から祖父の浄瑠璃や講談を聴いて育たれ、それが血肉となっておられるという。実家は材木商でいらして、材木使ったシーン多いとのこと。そういえば、大好きな「暴れん坊兄弟」*1でも材木が大活躍していたなあ。

澤島監督は「人生劇場」*2で、任侠映画路線を幕開けさせたなんていわれているけれど、監督自身は任侠映画のつもりはなく、人情の映画を撮ったつもり。「股旅 三人やくざ」*3なんか私もとっても大好きな作品なのに、入りが悪くやくざ礼賛でもないから、やくざ路線を行こうとする俊藤プロデューサーから「俺の仕事を否定した」とかすごまれて、どうも東映がイヤになられたらしい・・

映画から離れ、錦之助美空ひばりの舞台演出を務めるようになられたが、二人の人柄を語る監督の様子はとても楽しそうで、美空ひばりにはいまいち乗り切れてなかった自分もなんだかこれからはOKとなった。

森の石松

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吉村公三郎監督 新藤兼人脚本。1949年。

任侠ものというより、松竹の作った石松ものという感じ。型通りのかっこいい話でなく、飯田蝶子のお母さんや、殿山泰司の友人など渡世業以外のひとがきっちり描かれる人間ドラマ。

観ながら、木下惠介監督の「新釈 四谷怪談」のテイスト*1を思い出す。

吉村公三郎 人と作品」を読んでいると、

佐藤忠男氏による「吉村監督作品24選」という項にこの作品のことが。

この作品の撮られた1949年、占領軍がチャンバラを禁止していたこともあって、時代劇のための松竹京都撮影所が弱体化。ヒット作の多い現代劇の松竹大船撮影所からとくに指導的な監督たち何人かを京都に派遣して今日的な感覚のある時代劇を作らせる試みが行われたそう。

その一連の作品に木下惠介の「新釈 四谷怪談」、大庭秀雄の「情炎」、「絵島生島」*2渋谷実の「青銅の基督」などがあると書かれていた。やはり!

興行的に振るわなく、会社が失望、これが後に新藤兼人吉村公三郎が松竹をやめて近代映画協会を起すきっかけとなったと。

型を求めていた観客にはウケなかったかもしれないが、自分にはとても面白い石松。

いつもとは一味違う笠智衆。武士がイヤになった料理屋の主人。

そして、石松を慕う轟由紀子の仇っぽさ。こういう芝居もされるんだという感じ。そして彼女の思いやりの身に染みること。

途中謎の喧嘩の仲裁シーン。妙にコミカル。

そして、敵役の志村喬の迫力のあること。

次郎長一家の三井弘次が手堅く嬉しい。

画像

定型じゃない面白さがたくさんあった。

浮世絵風の画で始まり、ラストも実写の物干し台が浮世絵に変化する洒脱さ。

美術は水谷浩氏となっている。

今、国立近代美術館で展覧会をしている甲斐荘楠音が風俗考証。

地獄変

1969年豊田四郎監督。

あるとき(「伊豆の踊り子*1「あこがれ」などを観たあたりか?)から内藤洋子さんの可憐さがとても大好きになりこれもその一環でレンタル。

原作は中高時代に何かの教材で読んだ記憶があったのだが映画を観てその時の印象と違っていたのでもう一度ちゃんと読んでみた。

以前原作に触れた時の印象は芸術のためなら家族をも犠牲にして厭わない絵師の気持ちの凄まじさだったけれど映画は仲代達矢演じる鬼気迫る絵師の良秀を帰化人にしてあり錦之助演じる権力者との相剋が強調。相剋といっても権力者の前には生殺与奪を握られている芸術家は芸術分野以外は無力であり、ミケランジェロローマ法王の「華麗なる激情」(1965)*2なんかも思い出したし、あえて良秀を帰化人としたところに「地の群れ」(1970)*3的な現代にも通じる問題を提起しているようにもみえた。

映画にしろ原作にしろ絵師良秀、権力者双方の自分の領分への執着は凄まじいのだが、原作で際立っているのはそれに対比される良秀の娘の可憐さ。

映画では娘の気持ちは彼氏に向いているほぼ一直線な描き方だったが、原作の方は良秀に似ている猿を娘がかばうシーンからにじみ出る気持ちがとても美しく描かれていて、それが最後物語のクライマックスに向けて強い効果をもたらしている。原作と映画、最終的に起きる出来事は同じでも描く力点は大いに違っていた。

今回久しぶりに読んだ原作、芥川龍之介の紡ぐ文章の難解ではないのに漂う気品とたくみさに感動した。この作品は、もっと繊細にサイエンスSARUの作った「平家物語」や「犬王」*4みたいな風合いに仕上げるのが原作の空気を伝えられて良いのではないだろうか。

必殺仕掛人、必殺仕掛人梅安蟻地獄

 

 

必殺シリーズ、ものごころついてからちゃんと観たことがなく、今年も梅安の名前のついた映画が公開されていることから、ひとつ観てみようという気持ちになった。1973年に作られたこの二作品、これがさすがなかなか面白い。

一番お!となったのは、津坂匡章(現芸名秋野太作)。仕掛け人の子分みたいな役だが、、私の好きだった幻のドラマ「天下御免」(1971)で津坂さんが演じていたおどけていて意外と頼りになる魅力の稲葉小僧のテイストがすごくある。偵察なんか得意なところも共通だし、参ったような時の表情がものすごく魅力的。ああ懐かしい。

必殺というとなんだか藤田まことのイメージが強かったのだが、彼の演じた中村主水っていうのは第二シリーズ「必殺仕置人」からで、今回映画でみた鍼師梅安が主人公の仕掛人が第一シリーズ。TVが先でそのあとこの映画が作られたらしい。映画第一作「必殺仕掛人」では、梅安を田宮二郎が演じているが、テレビと揃えてほしいという声があって、映画二作目「必殺仕掛人 梅安蟻地獄」は緒形拳が演じたという。でも、田宮さんだって全然悪くない。ちょっと軽くておどけたところがあるけれどやる時はやる仕掛人

緒形さんと一緒に映画でもの声があったのが林与一氏で、「梅安蟻地獄」には出ておられた。林さん、ご本人のtwitterも時々回ってくるし、twitterの相互フォローをしている方も与一さんのファンということもあって、ものすごく親しみを感じる。そして、私好みの品の良さ。

一作目では野際陽子さんが、哀愁のある悪女役。時代物の野際さん私はあまり観たことなく新鮮。吹き替えか何か知らないけれど結構大胆な場面あり。

二作目は佐藤慶が表裏のある商人役。表と裏の表情の使い分けうまい。小池朝雄の弟は弟にみえないのに凄い存在感で面白い。佐藤慶がやられるシーンのなんと派手で面白いこと!

仕掛人の仕切りをするのが山村聰。山村さんも私時代劇であまりおみかけしていないな。豪華な配役陣。

有名なマカロニんウエスタン風の音楽がクールでとってもいい。音楽は音楽で知っていたがストーリーの中でハマるとこんなにいいんだな。

ストーリーも明瞭でとっても楽しめた。

桃中軒雲右衛門 再見

この映画、2012年に一度観ているのだけど*1、11年を経て記憶に残っていたのは桃中軒雲右衛門というのは厳しい人だったなあということだけ。

近年、「人生劇場」*2などで、いぶし銀の月形龍之介さんの魅力に気付き、そういえばと主演のこの映画を再見したのだけど、月形さんだけでなく、この11年の間に頭に蓄積してきた旧作邦画俳優たちの活躍場面が彩りとなり、なお一層楽しい鑑賞となった。

前回の感想を読んでいると、藤原釜足氏の飄々とした感じに注目していたが、確かに今回も釜足氏にまず心が動く。幼き桃中軒を拾った門付け芸的なものをしてきたおじいさん役で、雲右衛門が東京の舞台でも凱旋公演できるようになったことが嬉しいと喜んでいる。雲右衛門が大事な公演時とんずらした酒席に同行しのんきに時間を過ごしたり、それを注意されたら「俺の注意をきくようじゃ今ほどの大物にはなれない」なんていう言葉も変な説得力。桃中軒の歩んできた道をこの人物で説明しているような役回り。

釜足さんの出演作品を色々観ていくと、基本気の弱そうないい人っぽいキャラクターが多いが、かわいらしい中にも門付けでどうにかこうにかやってきたしたたかさみたいなのを今回は忍ばせておられ、それぞれの出演作におけるグラデーションに感心する。元々浅草オペラご出身の方だから音楽系の役どころもいつも器用にこなされているなと思う。この作品ではかなりの老け役。

もう一方驚いたのは細身の三島雅夫さん。

世間の声なんかなんのその自分の芸のことしか頭にない桃中軒を苦言を呈しながら支える役。戦後のまん丸いお姿で記憶しているもので、とても新鮮。

今回、桃中軒の舞台の三味線をずっと務めていた細川ちか子演じる女房お妻の自らの芸への厳しさがとても心に残る。自分も年齢がいき、自分の限界を意識するようになっているから。

前回観た時はさらっと流していた、愛人千鳥から正妻お妻への贈り物の布団に刷り込まれた「忠臣蔵」の顔世御前の歌の話、すごくポピュラーに布団生地に刷られていたそうだけど、正妻のものすごい反応に、この話が注釈なしに通用する時代というものも感じた。千鳥を愛人にするくだりも冗長な描写はなく、簡単なのにぱっとわかる描き方。

また冒頭、雲右衛門のプロフィールを移動中の電車の噂話で紹介する手腕も成瀬監督らしい。

雲右衛門の息子を学校での騒ぎや恩ある人に預けようかというくだりは、先般読んだ「国宝」*3に流れていた芸能の世界とそのパトロンの空気を感じたりも。

そうそう森繁久彌新国劇の殺陣師段平を演じていた「人生とんぼ返り」に、舞台の演し物としての「桃中軒雲右衛門」が出てきて、殺陣師だけに立ち回り重視の段平が「あんなものは浪花節」なんて言い捨てるシーンがあるけれど*4、雲右衛門がやっているのは確かに浪曲(=浪花節)だけど、映画は、「人生とんぼ返り」の方がむしろ浪花節的に思え、こちらのほうが、妻との関係の向こうに芸術とはという問いが感じられるものに思われた。

IMDb

 

 

*1:桃中軒雲右衛門 - 日常整理日誌

*2:人生劇場 飛車角 - 日常整理日誌

*3:国宝 上巻 - 日常整理日誌

*4:「日本映画傑作全集」vhs同梱の山根貞男さんの解説にも「桃中軒~」が新国劇で大成功した旨書いてある

栗山大膳

「栗山大膳」は、黒田騒動の物語で、森鴎外の小説にもある。ので、「阿部一族*1を観たあと、森鴎外原作シリーズのつもりで日活の大河内伝次郎の映画を鑑賞。

 

なんかこんなことある?というような展開もありで森鴎外の「栗山~」を読んだら、そんな展開はなし。ゆっくり映画のスタッフをみたらテーマになっている人物が同じなだけで映画は森鴎外原作ではなかった。

 

映画でびっくりしてしまった事柄というのは殿様の作っている船を幕府に睨まれるからって勝手に家来である大膳が焼き払ってしまうところ。映画的には見せ場だろうが、これはないのではと思った。

映画ではもう成敗するしかないような殿様がでてきて、とりあえすは大河内の大膳を応援する気持ちで観るのだが、森鴎外の描いている「栗山大膳」は殿様と家老である大膳のギクシャクを割合公平に描いていて、ジェネレーションギャップの物語として面白く読めた。これぞ大岡昇平が書いておられる鴎外の秀でたバランス感覚*2ではないだろうか。

「黒田騒動」はちょっときいたことあるけれど、「軍師官兵衛」や「黒田節」の血統の物語だ。

こちらの対談も黒田騒動についてわかりやすく語られている。鴎外の「栗山大膳」からの説明もあるような。。

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祇園に「栗山大膳堂」という煙草屋さんがあり、名前の由来を知りたいのだけど、お店のinstagramをみてもいまのところわからぬまま。

映画の「栗山大膳」には、一度覚えたら目が離せなくなっている高勢実乗氏が出てきて重苦しくなりがちの画面に楽しい風を送ってくれた。ご典医役。なんだか適当な治療しそう・・