フレンチ・キス

 

1995年ローレンス・カスダン監督。メグ・ライアンの、さらりと可愛らしくあけすけなことをいってのける台詞回しなど「恋人たちの予感」(1989)の流れを汲んでいるように感じた。相手役のケビン・クラインも、むさくるしい系男子の佇まいだし。

ローレンス・カスダン×ケビン・クラインの「シルバラード」*1「わが街」*2「殺したいほどアイ・ラブ・ユー」*3などを楽しんできたので、「今回のケビン・クラインは?」という気持ちで鑑賞。今回はフランス人 リュック役。アメリカとフランスの違いを戯画化して軽いラブコメに仕立てたような風情。まじめに考えすぎると、このリュックが夢はあるけれど、現実には問題だらけの山師にもみえてこれでいいのか?将来大丈夫?というような気持ちもよぎるが、リュックの夢(ワインに関するもの)が表現されるシーンは、あざとさがなくみているものも一緒に巻き込まれたくなるような設定でなかなかうまいと思う。今まで好きだったローレンス・カスダンの映画に出てくるケビン・クライン、欠点もあるけれど魅力もあるという風合いだったし、いつも愚かかもしれない美しい夢の話が出てくるからこれでいいのかも。

正味夢のためにヤバい仕事に手を出しているリュックだが、憎めなさがあり、追っかけてくるジャン・レノ演じる刑事との間の妙な友情は、「犬」シリーズでの田宮二郎天知茂の間に流れているもののような味もある。

メグ・ライアンがカナダの市民権を取ろうとしている最中のアメリカ人という設定で、スタートはカナダから。カナダはフランス語文化圏もあるし、脚本の中でもアメリカーカナダーフランスという国の中で宙ぶらりんになったヒロインという展開も含まれているのだけど、これを鑑賞する日本人にはそこがあまり響かないかも。

ラストのルイ・アームストロングの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」はほんとによい。そこで流れるケビン・クラインの語りと歌も魅力的でこの男性と映画への点数が上がった。

youtu.be

白痴(1951)

ドストエフスキー作品の黒澤監督による翻案もの。当初の上映時間よりかなりカットされて(265分→166分)いるという話。どこをどうカットしたのかよくわからないけれど、確かに冒頭あらすじが文字で説明されたり、パッと見では事情が呑み込めなかったりした部分があった。

原節子演じる那須妙子(原作のナスターシャ)というヒロインは黒鳥のような凄みのある美しさ。小津映画で原さんに先入観ができてしまっているせいか、彼女が椿姫的な存在というのが理解しきれてなく、なんで千秋実氏が金銭目的で原さんと結婚しようかどうしようかと渋ったりするのかピンとこなかった。圧倒的に綺麗だったから。

ストーリーに入り込むのは難しかったが、ロケ地や撮影の美しさはとても観る価値があった。一番印象的だったのは氷上のカーニバルのシーンだが、札幌の中島公園というところで1925年から1975年まで続いたものらしい。↓カーニバルの写真が載っている。

nakajimapark.info

 

上の記事にも載っていたけれど、映画の中でのお面をつけたカーニバルの幻想的でおどけているのやらこわいやら・・みたいなシーンは本当に素晴らしい。「禿山の一夜」の音楽がぴったり。先日観た黒澤明のメイキングドキュメンタリー*1でオリジナル曲を作るのでなくありものを使う方がいいときもあるという意味の話が出ていたことを思い出す。

後ろ向きに原節子がスケートで立ち去る短いシーンもあったがかっこいいこと。

舞台には主演を演じた森雅之の父、有島武郎旧邸も使われていたそうだ。森雅之、私の中の一番のベースのイメージは「浮き雲」での高峰秀子のくされ縁の相手だが、こんな無垢な役も、そして「悪い奴ほどよく眠る」*2などでは、すぐにはわからなかった老練な役も。みなさんがほめられる一端をじわじわと感じている。

東山千栄子が、富裕なのにちょっとがさがさした母親役をしていたが、ポンポンあけすけな台詞は杉村春子氏や吉川満子氏が演じた方がナチュラルでみているものも違和感ないように思った。

artpark.or.jp

ええじゃないか

 

少し前に観た今村監督の「女衒」*1の妙な勢いが懐かしく、同じくパワフルそうなこちらも鑑賞。評価が分かれたりしているらしいが、私はとても楽しめた。

幕末に民衆が踊り狂うということのみの知識だったが、長く続いた幕藩政治のひずみ、腐敗がいよいよ我慢ならないところまで来て、という流れは今日的でもある。クライマックスの橋の向こうとこっちでのせめぎあい、その後に起きた、そして今も現在進行形の世界のニュース映像そのままだ。

この作品では元々、自分たちにいい流れを作るため、うちこわしなどを陰であやつる権力者たちがおり、自分で仕掛けたことが制御不可能になって・・という話に作ってあるが、その仲立ちになる見世物小屋主の男を露口茂が演じ、その屈折に静かなる迫力がある。

泉谷しげる演じる主人公源次横浜港沖で生糸の運搬作業中に難破し、アメリカ船に助けられアメリカで暮らした後日本に帰ってきた貧農。彼は現在とはまた違う80年代前半の若き吸引力をまとっていてなつかしいやら楽しめるやら。アメリカ帰りという特異な経験で周りに影響を与えるのがとても自然。

帰国後再会した妻イネは露口茂の小屋でストリップの太夫に。イネを演じる桃井かおりのあっけらかんとした見世物っぷりの魅力的なこと。このたくましさ、そして湿っぽくはならない情感の可愛らしさが映画を引っ張る。ラスト近く、「世直しかんかん」と称してフレンチカンカンの翻案を演じるところなども、着物を組み合わせた衣裳をうまく着こなして良い場面。

桃井かおりと並ぶ先輩、倍賞美津子がまたいい。落ち着いたあの声。時にはライバルの二人の関係の楽しさ、美しさ。そして、桃井かおりよりは若い、新しき世代を演じる田中裕子のつかみどころのない魅力。

小屋周辺の陽気な鉄砲玉的な存在に火野正平。彼がまたいつも突拍子もないカラフルな衣裳をまとって観る人を惹きつける。

草刈正雄琉球の男イトマンを演じる。こちらがまた日々の中では飄々と暮らしつつも歴史的な背景を引きずっており、そのドラマがまたこのええじゃないか踊りの横で静かに映画的に繰り広げられとても魅力的。

少しの出番しかないが、泉谷氏の父を演じる伴淳三郎氏も上州の貧農のあきらめの体現がもうナチュラルでナチュラルで。ずいぶん楽しめた映画だった。

 

追記:

2021年11月11日の京都新聞文化欄に平野克弥さんという方の書かれた「江戸遊民の擾乱」という本の紹介が載っていた。内田孝さんという方の署名記事。

「幕府が演劇や見世物に関わる芸人や弾き語り、動物使い、手品師、踊り子、曲芸師らに目を光らせ、身分の上下など社会規範をみださないよう規制した事例を紹介」とある。映画に出て来たこととの関わりを感じる。

 

浮草日記

 

旅芸人meets炭鉱の組合運動。山本薩男監督ならではの題材。

原作者真山美保。苗字から「元禄忠臣蔵」の作者真山青果を連想したが、青果の長女で、1943年に青果氏と離反し、前進座に入った旨wikipediaに記載されていた。

出演メンバーが豪華で楽しめる。一座の優しき座頭 東野英治郎、歌舞伎の台詞回しも貫禄あり。今までちょっと気の弱い登場人物の役でよくみかけ*1、なんだかいいなあと思っていた菅原謙二氏大活躍。

f:id:ponyman:20211205191024j:plain右のかっこいいのが菅原謙二氏。

東野英治郎の娘役津島恵子もちゃきちゃきととても魅力的。津島さん、なぜか勝手におとなしいイメージをもっていて内田吐夢監督の「たそがれ酒場」*2でのストリッパー役(といっても上品なものだったが)に驚いたのだけど「七人の侍」でも元気な役だったし、「おとなしい」というイメージが勝手なものだったかな?

楽屋番の女に東山千栄子東山千栄子にロシア帰りで上品な、というイメージを持っているので、庶民的な役がナチュラルで別人かと思ったほど。

一座の女たらしに女を寝取られる伝助に江幡高志。三谷幸喜大河ドラマ新選組!」冒頭で、土方と一緒に薬を売っていた人だ。

ビデオジャケットに「無名時代の仲代達也、小沢昭一が端役で出演しているのも見どころ。」とあるが、

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確かにお二人とも初々しい。

興行主に搾取され、炭鉱の組合の協力でなんとか生きる道をみつける一座だが、興行主から離れて一座をやっていけるかという座頭 東野英治郎の心配は、昭和の文楽の組合側の人たちがなめた辛酸の話を思い出すと落ち着いて観ていられない部分も。

労働劇を歌舞伎風だったり、知っている政治家の物まね風だったりで演じる一座の練習の様子は愉快。

常磐炭鉱労働組合が協力とのこと。「フラガール」と関係のある炭鉱だな。

「花束みたいな恋をした」と「一度も撃ってません」

最近気になっていた作品がwowowで放映されたので鑑賞。

一作目は「花束みたいな恋をした」

 

「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」など脚本ドラマの発想が面白いなと感じている坂元裕二の脚本作品。

 

 

 

この二作品でも日常生活のその人の嗜好などの細部を描くことでその人を浮き上がらせる描写がうまいが、この映画でも「こういうものが好きな人」ということでその人をピンと来させる。

20代のお話で、60前の自分からみると、ちょうど同じ年ごろの子どもたちはこういう感じなのかななどとハラハラしながら見守った。

ブックマークしているブログ「私の中の見えない炎」に土井監督のトークショーのレポートが載っていて拝見。

ayamekareihikagami.hateblo.jp

ここで監督が語っているように、病気だとかドラマチックな出来事をバネにしていないところがこの作品の良いところ。二人の時の経過はとてもリアルに感じられる。

今二人の第一章が終わったところ、さて・・という気持ちになった。

 

もう一本は「一度も撃ってません」

 

石橋蓮司氏が売れないハードボイルド作家を演じる作品。阪本順治監督作品。石橋氏が好きなので観てみたいなと思っていた。石橋氏の、オールドファッションにキメた姿、なかなか良い。作家を作品とからませて・・というところは「ハメット」*1のパロディのようにもみえる。若い編集者からのツッコミは、私がいつも子どもたちと接していると感じるようなもので苦笑い。ツッコミ主は寛一郎氏。佐藤浩市氏と親子共演であった。

石橋さんを観ていると阪本監督の「大鹿村騒動記」の舞台挨拶の時、病気が進んでいた原田芳雄氏の挨拶を代読されたお二人のつながりを思い出す。

 

物語の主要な舞台であるバーの表札の文字デザインも原田芳雄氏だったようだし、あとで調べたら若松監督で原田氏主演の「われに撃つ用意あり」を下敷きにしているらしい。監督や原田氏にゆかりのある人たちが楽しんで作ったものという感じがした。

 

せっかくだから「われに撃つ用意あり」の方もこの機に鑑賞。

こちらは本物の風格、若松監督の力量をとても感じるものだった。新宿騒乱の頃機動隊を追われた面々が青春の終わりかけの日に閉店する原田芳雄氏のバーに集まって・・というストーリー。「泪橋*2などとも描いているものは並列しているように感じられる作品だが、格段に見せる力があると思った。

テンポが良く迫力がある。大写しになる桃井かおり氏の表情の複雑で可憐なこと。石橋蓮司氏の原田芳雄氏の盟友らしき影法師としての徹底した道化姿と物語の原動になるパワー。撮影当時(1990年公開)の新宿の様子の活写。

「一度も撃ってません」は確かにここから派生した物語だった。「一度も撃ってません」のラスト近くに映る絵は「われに~」の桃井かおり氏がモデルだ。

刑事役蟹江敬三も抑制のきいた熱い演技でとても印象に残る。

「断崖」と「紳士協定」

ふや町映画タウンのオススメ作品のうちamazonプライムで観られるものを二本鑑賞。

一作目 ヒッチコックの「断崖」

タイトルから物理的ハラハラを想像してしまい観るのが遅くなった。物理的なものもあるが、心理的な追い詰められが楽しい作品。ジョーン・フォンテイン演じる知的美女がガードが固いと思われているがゆえに、芳しくない評判もあるケイリー・グラント演じるプレイボーイと恋に落ち結婚→そこからの~というストーリーだが、この設定もよくわかるし、ケイリー・グラントが見方によってどうにでも見える人物をうまく演じていてハラハラのしっぱなし。あっという間に終盤という鮮やかさ。コワさとおかしさがうまく混ざっている。

 

二作目 「紳士協定」

紳士協定(字幕版)

紳士協定(字幕版)

  • グレゴリーペック
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アメリカの反ユダヤ主義を記事にするためユダヤ人として生活しどういう対応をされるかという生活実験をするグレゴリー・ペック演じる主人公。「紳士協定」というのは不文律みたいな意味らしく、明文化されていないがそういう風になっている、というようなことらしい。そのことによってグレゴリー・ペックとその家族が味わう被差別の構造は、日本にもすごくあるし、外国の話として観た方が差別する側の言い訳を考えないで観られるからずっと理解しやすい。少し前にアトム・エゴヤン監督の「アララトの聖母」という作品を観、トルコによるアルメニア人の虐殺の歴史を知ったが、日本と近隣諸国との話と一緒、でも距離がある分構えずニュートラルに入ってくるという気持ちになったのを思い出す。

アララトの聖母 [DVD]

アララトの聖母 [DVD]

  • デヴィッド・アルペイ
Amazon

 

日本で差別問題を考える時に浮かび上がる「差別されている側には素行の良くないものもいる」「自分は差別してるつもりはないが、差別を看過しているということは加担していることだ」というようなポイントが描かれている。ただグレゴリー・ペック演じる主人公が厳密過ぎて息が詰まりそうな気分にも。的を射ているからかな。

監督のエリア・カザンは移民という弱い立場故、こののち赤狩りの時に司法取引して一時共産党に入党していた時の情報を提供してしまったという経緯を知っていると、信念とそれの完遂の難しさというか、こういう映画を作ったあとそういう行動をせざるを得なくなるつらさというか、そんなものもひしひしと感じてしまった。

花いちもんめ。

千秋実さんが認知症になった考古学の教授を演じ、1985年のブルーリボン賞やら日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞された作品。千秋さんは好きなのでいつか観ようとは思っていたけれど、当時のイメージでは千秋さんの認知症の演技が壮絶であるというような話ばかりでなんだか観るのがこわいという感じもあり観るまで時間がかかった。

wowow放映を機に思い切って観てみたら、まず千秋さんの仕事場が島根県の歴史資料館ということで、島根の歴史のはなしから始まり、また千秋さんの家のたたずまいがとても良い感じの古民家だったり、海岸の風景も美しく、山陰の好きな自分はぐっと惹きつけられた。ロケ地を調べていてやっと少し書いてあったのが下にリンクを貼った美しい海岸、小波浦。42ura.jp

十朱幸代氏演じる大阪に住む息子のお嫁さんが第二の主人公。はじめ夫の浮気起因の夫婦仲の悪さからふてくされケンケンしていてどうしたものかというスタートだった・・が、舅の病院での認知症認定の日、舅からの彼女の苦しみに対する、元気なうちにこれだけはいっておこうという気概に満ちたいたわりの言葉をきいて、お世話することを決意、そこからの二人の姿はきれいごとでないシーンも含め心穏やかな瞬間だ。認知症の講座などで、認知症の人の話を否定しないで受け入れること、というのが出てくるが、お世話をしてくれる嫁を妻と間違ってしまうシーンがあり、そこからのトラブルもシビアに描かれている。

題材が題材だけに厳しいシーンはもちろん織り込み済みで、公開当時もそっちばかり伝わってきたりしていたけれど、厳しいシーンのときには必ず心に残る美しいシーンもはさまれていて、介護を含め人生って一面的なものではないと感じさせられる。そしてそのことは介護を経験した自分も大いに頷く。

心に残ったのはお盆の行事か、田んぼの中を提灯を持って人々が歩く幻想的なシーンや、ドラマの展開的には修羅場の千秋さんが妻 加藤治子氏をおぶって歩くシーン。

伊藤俊也監督、「誘拐報道」の時も細やかな表現がとても素晴らしかったし、「もっと観たい!」と思ったのだが、東条英機を描いていろいろ話題になっていた「プライド」の監督さんだったか・・・機会があれば観てみて自分の目で確かめよう。