ピンクサロン 好色五人女

1978年 田中登監督作品。

 

冒頭「故 井原西鶴氏に捧ぐ」の文字。そして始まるピンクサロンのお盛んなさま。西鶴、教科書に出てくる元禄文化の代表者ということで何か挑戦的なおかしみを感じたりもしたが、文化デジタルライブラリーの元禄文化の解説*1を読むと西鶴は庶民の生活や遊女の暮らしをリアルに描いてきた人とのこと。それじゃあ確かにこの映画そのものだし冒頭の言葉はウケ狙いでもなんでもない、本気でこの時代にロマンポルノで西鶴を表現したんだなとなった。

雷蔵さんの演じた増村監督の「好色一代男*2はとても陽気なものだった印象だけど、こちらの映画はまさに性と死は隣り合わせで、死を一時忘れる中での性、でもそれをつきつめたところにあるむなしさみたいなものが終盤の琵琶湖湖畔での老域に達しかけた男とサロンの女の出会いなどで色濃く出ている。そして、このあきらめと心の新境地が混ざり合ったような心中のシーン、文楽で描かれる道行ってつまりこういうことだなあという気持ちになった。

冒頭の軍艦マーチのサービスタイム的な描写、1982年の「キャバレー日記」*3でもそういうシーンあったなと。「キャバレー日記」、キャバレーという名前から、何かショーを中心とした酒場みたいな印象を持っていたためやっていることの過激さにびっくりしたのだけど、あれはつまりピンクキャバレーという分類?

ともあれ、あの勇ましい音楽が、「『何でもし放題』っていっても、すること考えるのもタイヘンだし・・」なんていってる終盤の老人の姿とも重なってむなしさをより駆り立てるし、途中そんな空気を振り払うように元気に踊っていた山口美也子氏の一瞬の輝き明るさともまざりあって複雑で多層な色彩で映画を塗りこめている。

そうそう、山口さん演じる女はストリップ出身という設定でピンクサロンに引き抜かれる前、なかにし礼の「時には娼婦のように」にあわせて舞台をつとめているのだけど、その突き抜けた明るさ、なかにし礼自身が主演の同タイトルの映画のハンサムななかにし礼の自己愛強そうな振る舞いが気になる映画*4よりずっとずっと素敵な楽曲の活かし方だなあなどとも思った。

 

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※追記:一度この記事を書き終わってからtwitterでフォローさせていただいている横浜SANさんがこの映画のことをまとめておられるnoteを拝見。本当に密接に西鶴の原作とリンクしていると知る。そして、中丸信さんの色男っぷりも特筆だったことを思い出した。あのエピソードはお夏清十郎だったか・・。印象的だった山口美也子さんの名前もこちらのnoteでやっと確認。自分の記事に反映させていただく。