継ぐもの

春に父が亡くなったことと絡んで、何をみても「継ぐもの」という観点が頭をちらつく昨今。

まずは競技 かるた長編コミック「ちはやふる」46巻。

 表紙は祖父が永久名人である新くん。祖父直伝の力でいよいよ名人に挑戦、かるたの大会は先に三勝をあげた方が勝利決定なのだが、二勝してきたところで相手の思わぬ巻き返しにあい、祖父伝来の取り方では通用しないのでは?それは祖父の名誉を傷つけることになるのでは?という煩悶が始まる。落胤にまつわるコクーン歌舞伎「天日坊」*1にてアイデンティティで煩悶した挙句の中村勘九郎の叫び「俺は俺だ」という言葉が遠音のようにきこえてくる。さあここから、というところ。四十巻以上も続いているこのコミック、核になる三人も小学生から今高校三年になり、後輩もでき、たとえばかるたの読み手、顧問の先生、かるた会の師匠などさまざまな登場人物の葛藤や成長が描かれている渾身の群像劇だ。

もう一つはこんなものまで・・という感じなのだけど 

 「怪奇十三夜」から中川信夫監督の「怪談 累ヶ淵」と石井輝男監督の「番町皿屋敷」。怪奇十三夜は1971年7月4日から9月26日まで日本テレビ系列にて毎週日曜日夜9時30分から10時26分に放送されていた時代劇のテレビ映画とのこと。*2

夜遅く観ていた記憶はないけれど、昭和の夏休み昼間の時間帯に怪談ドラマの再放送などよくやっていたなあという記憶。二作品では表紙にもなっている「番町皿屋敷」の方が心に残った。「累ヶ淵」の方は、因縁ものとはいえ、女のお師匠さんが若い弟子にいれあげ挙句に嫉妬とか、いわゆる重い存在になる描写がどうも辛い。石井監督の「番町皿屋敷」は、不思議な純愛ストーリーみたいに仕上げ。お菊さんという女中さんと恋仲なんだけど、家のために有利な結婚相手と結婚することを親戚筋からすすめられる中尾彬演じるお殿様の若い気持ちを描くという感じ。若殿様がすっぱりと藤田弓子演じるお菊さんをあきらめてくれるように皿を使った謀を企む重臣。これが決して悪い感じで描かれていなく、忠義ゆえ、今後の家のためという描き方が「忠臣蔵」の加古川本蔵みたいな雰囲気だ。有名なお菊さんが皿を数えるシーン、怪談らしい井戸のシーンなどもあるけれど、ラストは妙に心あたたまるようなロマンチックな雰囲気での締めくくり。石井輝男監督、「網走番外地」や「怪談 昇り龍」*3「ポルノ時代劇 忘八武士道」*4、「直撃!地獄拳」*5などで親しんできて、熱き破調の監督のイメージだけど未見の「地獄」をオウム真理教への怒りを込めて作られたというエピソードを読み、好ましき暴走をされる方で、きっとそこが愛されているのだなあと感じたのだけど、この作品もそのイメージをさらに強化するものだった。津川雅彦演じるお菊さんの兄も、若殿様とお菊さんの物語の援護者みたいな感じで石井監督の愛すべき心根が溢れていた。中川信夫監督も好きなんだけど、とにかくこの二本では重臣含め家を継ぐという概念に振り回される物語という風に「皿屋敷」を描いた石井輝男監督作品に軍配。

私の場合は振り回される必要もないのだけど、今度は自分の番でその先はどうなるのか?とか当事者的な気持ちで混乱をきたし、キェシロフスキ監督「デカローグ」最終話*6の父の死後の喜劇が妙な心の支えになっていたりする。