デカローグ、愛に関する短いフィルム

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クシシュトフ・キェシロフスキ監督が1988年に発表した全10篇の連作集「デカローグ」、デジタルリマスターされ、今全国で公開されているけれど、観に行った方の感想をtwitterで拝見しているうちにとても興味を持ち私も観始め*1、最後まで観終えた。

ポーランドの巨大団地を舞台にいろんな部屋に住んでいる人のそれぞれの暮らしで一話ずつが構成されている元々はテレビシリーズ、尺も1時間くらいで、作り方もとても身近なタッチで秀作ドラマを楽しみにする日常という感覚で観られる。

十戒の文言からドラマを作っているわけだけど、それが現代の問題にうまくからませてあって、でも、別に宗教的な枠にこちらをはめこむのでなく、登場人物*2に「神というのは心の問題」と言わせたりして、一宗教に帰属しない普遍的な話として観ることができる。

喜劇的な作りになっている10話が人気があるようだが、亡き父の切手コレクションをテーマにしたこの話、私もとても好きになったし、あのストーリーでこのシリーズを締めくくっていることに希望を感じた。キェシロフスキ監督は愛の問題を描いてきたと書かれたりしているのをみたりするけれど、確かにこれも、「一番大事なものはなんだったっけ?」と気づかせてくれる愉快な作品であった。監督

「デカローグ」の中から再編されて映画になったものに「殺人に関する短いフィルム」と「愛に関する短いフィルム」があり、「殺人に関する~」はカンヌ国際映画祭審査員賞、ヨーロッパ映画賞作品賞を受賞しているし、ふや町映画タウンのオススメの印もあったのだが、死刑問題を問うたストーリが胸に迫りすぎて観るのが辛かったもので、「愛に関する短いフィルム」の方を観た。元になった「デカローグ」の第六話「ある愛に関する物語」のロングバージョンといわれているが、大きく違うのは締めくくり方。「デカローグ」内のラストの方が決然としていて三島由紀夫の「春の雪」のように、ある終わりを描くことでそこにあったものが余計に美しく感じられ良いようにも思われた。

映画版の方では、主人公が下宿している家の婦人(友人の母)との関わりがより詳しく描かれ、主人公が常はどんな人物かよりわかりやすくなっているし、テレビ版のように時系列に事柄を並べるのでなく、「実はこういうことだったのだよ」と種明かしをする形になっていて、感動をラストにもってくる映画的なつくりにしてあるようだ。ほかにも細かい演出や台詞の訳語の違いもあって観比べるとテレビ版の方が自分は好みかな・・。最初に観た方に心をとらえられているだけかもしれないが。 

 「デカローグ」に話を戻すと、第七話「ある告白に関する物語」で、ある事件以来世間を避け森に住むようになった人物の熊のぬいぐるみだらけの家を観た時、坂元裕二脚本のドラマ「anone」に出て来たかわいらしげだけどそれゆえこわさもある森の家も思い出したのだが、先週放映されたやはり坂元氏のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」で

世をはかなんだ岡田将生氏が「森のくまさんになりたい」というようなセリフをいうもので、なんだかつながりを感じてハッとした。ちなみに「デカローグ」でのその人物とくまのぬいぐるみのかかわり方は、危ない空気も漂わせながらそれを生業としてなんとかぎりぎり自分を保っている感じでとても良かった。「デカローグ」に出てくる人物はそういう危機もはらみながらなんとかやっていく感じが出ていてすばらしく好感が持てる。違う回の登場人物の話が別の回でちらっと出て来たりするしゃれた雰囲気も楽しい。