I'm So-So...、偶然(1981) クシシュトフ・キェシロフスキ監督を巡って

先日「デカローグ」*1で関心を持ったキェシロフスキ監督を撮ったドキュメンタリー「I'm So-So...」(1995)と、キェシロフスキ監督作品「偶然」(1981)を鑑賞。

 

www.imdb.com

 

「I'm So-So...」とは、キェシロフスキ監督がインタビューの中で、「苦手なのは『調子はどう?』と問われたら皆『extreamely fine』なぞと返事するアメリカ。『extreamely』って・・・『I'm So-So...』くらいが妥当でしょ」と答えていたところから。とっても頷いてきいていたので、なるほどこれがタイトルに・・と。「デカローグ」に感心している時から能町みね子さんの北へのあこがれを書いた「逃北」*2という本を思い出していたのだが、このインタビューをみて、ますます、キェシロフスキ監督の持つ木枯らしとそれを暖める「北のこころ」を感得。インタビュー通して、監督の寒風に耐えるユーモアと温かみ、精神性を感じ続けた。

1981年に作られた「偶然」

eiga.com

映画comにも

当局によって上映禁止処分の憂き目にあい、87年1月になって、一部をカットした119分版でようやく公開された

と書かれているが、わかる気がした。

電車に乗れるか乗れないか位の偶然でその後の人生が変わってくるという物語だけど、

1.党本部の仕事をする

2.カトリックに入信、地下組織の手伝い

3.大学に残り、いずれにも組しない

という3つの道、どの道にも党の締め付け、そして人間関係の危機が描かれている。ポーランドの歴史に全く詳しくないのだけど、80年代後半の「連帯」の勝利のニュースなどは覚えているし、カトリックとの関わり、その後また流れたワレサ委員長に関するニュース、アニエスカ・ホランド監督の映画「ワルシャワの悲劇 神父暗殺」*3など自分の持っているポーランドに関する事柄が頭の中でちょっとずつつながろうとしている。

そのことを政治的な部分をまず描くのでなく、それは本当に一例として、人の選択によって人生は違う転がり方をして・・というドラマに仕立ててある。人物の細部の描き方を丁寧に親しみやすくすることにより観客の気持ちもひきつけ、省略するところは省略し・・さらにここから「デカローグ」の円熟をみせるのだなと感じた。