真昼の暗黒

 

真昼の暗黒 [DVD]

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  • 草薙幸二郎
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 橋本忍脚本の話題でtwitterに出ていたのだったか、あまり予備知識のないままに借りて観てみたら、娯楽性も兼ね合わせたがっちりした社会派映画で、しかも、実際に起きた「八海事件」の裁判に大きく影響を与えたという驚くべき事実を知り、良いものを観たなあと思っている。キネマ旬報ベスト10の監督賞で第一位にもなっている。観客の心を事件にひきつけて、裁判を見守るところから「それでもボクはやってない*1も思い出した。もちろんあちらも素晴らしかったが、wikipedia↓などでこの映画の実際の世の中との関わり方を知って驚いた。すべてに骨太である。

 

ja.wikipedia.org

早く言えば冤罪事件だが、警察が先に作ったストーリーに事件をあてはめることがあるという話、身近でもきくし、Nスぺで放映していた未解決事件シリーズの「グリコ森永事件」や「警察庁長官狙撃事件」でもそれを感じた。もやもやするそういう事柄を取り上げた作品。

主人公役は草薙幸二郎氏。第1回製作者協会の新人賞を受賞されたとのこと。草薙氏の母親役が飯田蝶子氏。飯田さん、善良で柔らかい空気がほんとにいい。小津監督の「浮草物語」*2が自分にとって戦後版の「浮草」よりよく見えるのも飯田さんの雰囲気ゆえというのがすごく大きいと思うし、この映画でもこの母親の造形がとても素晴らしく、観ている方は話により入り込む。草薙氏の恋人役に左幸子氏。彼女も強い信念の人を演じたらぴったり。共犯に仕立て上げられた仲間たちのうちひときわ品の良い母親は「男ありて」*3の妻役が素敵だった夏川静江氏。北林谷栄氏も自分のよく見知っているおばあさん役ではなく、まだ男女交際も現役の中年役。そして。。筋を知らないで観始めたもので、

f:id:ponyman:20210621154432j:plainしょっぱな今回の加藤嘉氏、かっこいい!なぞと思ってしまったが。。。とんでもない役だった・・

諏訪敦彦監督

諏訪敦彦監督の作品を二本観た。

ひとつは「2/デュオ」

2/デュオ

2/デュオ

  • 柳愛里
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 画像

↑ビデオジャケットの写真があまりにも打ち沈んでいるもので怯みそうになるが、すごい吸引力のある作品。西島秀俊が壁にぶち当たっている役者役で、同居の彼女への八つ当たりっぷりが、ひどいのだけど、なんだろう、西島氏の声の健やかさに救いがある。少し前に観た行定監督の「劇場」*1も、一緒に住んでいる相手をとことん振り回す男が出て来たけれど、あっちの方がタチが悪い印象。「劇場」は又吉原作で、又吉の好きな太宰治の結局は自分が好きというところがにじみ出すぎているような・・あちらにくらべると「デュオ」の西島氏演じる男はまだ相手をちゃんとみつめている感じがした。つまずきながらも真っ白になっても歩いていく感じに好感を持つ。それは西島氏の持つ空気ゆえんの気がする。

アテネ・フランセ諏訪敦彦監督の特集が組まれた時の解説には

2週間の撮影で、やはり連日1日の出来事を撮る。その日の結果で、翌日のシーンが決められた。柳愛里と西島秀俊の二人の話となったが、撮影時は三角関係の物語だった。俳優本人として演じることのインタビューが挟まれるが、諏訪本人はフィクションとして破綻したら、なぜ失敗したかのドキュメンタリーにしようと考えていた。 

と書かれている。なるほど。そのためのインタビューか。。一応演じ手は俳優本人としてというより役のままその時の気持ちを話してくれていて、みているものが冷めたりはしなかった。その日その日のあるカップルの様子をのぞいているような感覚もあり、その時のいろいろなファクターの影響を受けつつ出来あがった一回性重視の、劇場で観る演劇のような画面という感じがした。

「2/デュオ」の次に作られた「M/OTHER」*2も、アテネ・フランセの解説によると

台詞が書かれた脚本は存在しないが、二人の履歴書は綿密に作られた。これは即興演出ではない。むしろ、その対極である。俳優の自由が最大に尊重され、撮影所育ちの三浦は戸惑ったが、場の空気感が見事に掬い取られた。

とのことだけど、脚本をなぞるのでない映像を監督は目指しておられるのだろうな。

また

前作で魅力的な存在感を見せた渡辺真起子に、諏訪憧れのスター三浦友和を組ませ、年の離れた男女の同居を描く。 

 とも書かれているが、この前作というのが「2/デュオ」であり、「2/デュオ」の中での渡辺真起子氏、確かに現実的に生きている力強さがとても魅力的だった。

 

もう一作観たのが「H STORY

 

H STORY [DVD]

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  • ベアトリス・ダル
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 アテネ・フランセの解説は

ヒロシマ モナムール』のリメイクという不可能な挑戦の結果、レネというより、ガレルに接近する。ベアトリス・ダルを招いたこと以上に、撮影をシャンプティエに任せたことが大きい。本番のキャメラがカットの声の後も撮影現場を撮り続け、メイキングと本番を一台のキャメラで往復する手法により、時空は迷宮化していく。

ベアトリス・ダルが、「ヒロシマ・モナムール」とは俳優のバックグラウンドが違いすぎるのに台詞をなぞることへの不誠実感を表明、懐疑を示すのだけど、確かにオフショットが混ざる撮影を観ているとすべてに虚実が混ざっている感覚になる。ベアトリス・ダルは不機嫌演技うまいしなあ・・と、どこまでが仕込みだかわからないような感覚に。町田康氏が一種天使のような存在として出てくる。彼はそれにふさわしい空気を持っていると思う。

天知茂さんを追って

 60年代前半生まれの自分にとってはじめてみた天知茂さんは、2時間ドラマの明智探偵役という感じで、なんだか決まりすぎている・・という印象だった。

旧作邦画を観るにつけ、「東海道四谷怪談*1伊右衛門や「憲兵銃殺」*2でクールガイのイメージをまず持ったが、「893愚連隊」*3の、新しい世代のノリについていけない古いタイプのやくざをみて親近感を抱き、続いて観た田宮二郎との「犬」シリーズ*4でくたびれた刑事「ショボクレ」役で、こんな愛嬌のある姿も演じられるんだ、と一気に好きになった。

そんな経緯で、「座頭市」のシリーズの中でも、天知さん演じる平手造酒と勝新の敵同士に雇われた立場の切ない友情が素晴らしいときいていた三隅監督の「座頭市物語」(1962)を観てみた。「座頭市」のシリーズの第一作目。

 

 最近amazonプライムで彩色したバージョンの小津作品など配信され、どういうつもりだと驚いているのだが、この映画もモノクロならではの良さがある。白と黒だけどそこに濃淡が加わりとても深みがある画面、これをカラーにしたらぺらぺらになってしまうだろうな。

天知さん扮する平手造酒、ほんとにこんなかっこいい役があろうかと思うような潔さ。兵隊を無駄死させて自分たちはのうのうと暮らす親分たちへの批判も強く描かれ、戦争への思いが籠っているのではないかと感じた。

助監督のところに国原俊明さんの名前。先日亡くなった父が大学の映画部で出会い、追悼の文集を発行していた方だ。旧い映画を観ていると時々映画部の方々のお名前を見かけるけれど、この現場で頑張っておられたのだなと特別の思いで拝見する。

 

もう一本天知さん目当てで観たのが田宮二郎がガンマニアを演じた「犬」シリーズ最終作「勝負犬」。田宮さんがとても軽い主人公鴨井役。天知さん演じるヨレヨレのトレンチコートと帽子を被った刑事(ショボクレ)とのコンビネーションをいつも楽しむのだが、今作ではラストだからか鴨井からショボクレへの思いが劇的な感じにしてあった。普段は強がりをいってる放蕩息子の真心みたいな感じで、田宮さんのそういう姿がまた魅力的。「犬」シリーズの特集記事が載っていた「For Everyman」という雑誌にも書かれていたのだが、このシリーズでは坂本スミ子演じる玉子というのがまたキュート。玉子はシリーズ内で色々な職業で出てくるキャラクターなんだけれど、「勝負犬」では歌手。60年代っぽいかわいさの衣装で登場し場を和ませていた。鴨井の「俺は警察の犬ではない」というセリフがあって、ああ、犬ってそういう意味合いのタイトルでもあったかと思う。ストーリーはわざわざ大掛かりにしてあるようなところもあり、どっちでもよい感じ。60年代のアクションものって悪の組織が・・みたいなこういう感じの多いな・・なんか劇的なんだけど大雑把みたいなつくり。

tacoche.com

 

 

 

デカローグ、愛に関する短いフィルム

www.ivc-tokyo.co.jp

クシシュトフ・キェシロフスキ監督が1988年に発表した全10篇の連作集「デカローグ」、デジタルリマスターされ、今全国で公開されているけれど、観に行った方の感想をtwitterで拝見しているうちにとても興味を持ち私も観始め*1、最後まで観終えた。

ポーランドの巨大団地を舞台にいろんな部屋に住んでいる人のそれぞれの暮らしで一話ずつが構成されている元々はテレビシリーズ、尺も1時間くらいで、作り方もとても身近なタッチで秀作ドラマを楽しみにする日常という感覚で観られる。

十戒の文言からドラマを作っているわけだけど、それが現代の問題にうまくからませてあって、でも、別に宗教的な枠にこちらをはめこむのでなく、登場人物*2に「神というのは心の問題」と言わせたりして、一宗教に帰属しない普遍的な話として観ることができる。

喜劇的な作りになっている10話が人気があるようだが、亡き父の切手コレクションをテーマにしたこの話、私もとても好きになったし、あのストーリーでこのシリーズを締めくくっていることに希望を感じた。キェシロフスキ監督は愛の問題を描いてきたと書かれたりしているのをみたりするけれど、確かにこれも、「一番大事なものはなんだったっけ?」と気づかせてくれる愉快な作品であった。監督

「デカローグ」の中から再編されて映画になったものに「殺人に関する短いフィルム」と「愛に関する短いフィルム」があり、「殺人に関する~」はカンヌ国際映画祭審査員賞、ヨーロッパ映画賞作品賞を受賞しているし、ふや町映画タウンのオススメの印もあったのだが、死刑問題を問うたストーリが胸に迫りすぎて観るのが辛かったもので、「愛に関する短いフィルム」の方を観た。元になった「デカローグ」の第六話「ある愛に関する物語」のロングバージョンといわれているが、大きく違うのは締めくくり方。「デカローグ」内のラストの方が決然としていて三島由紀夫の「春の雪」のように、ある終わりを描くことでそこにあったものが余計に美しく感じられ良いようにも思われた。

映画版の方では、主人公が下宿している家の婦人(友人の母)との関わりがより詳しく描かれ、主人公が常はどんな人物かよりわかりやすくなっているし、テレビ版のように時系列に事柄を並べるのでなく、「実はこういうことだったのだよ」と種明かしをする形になっていて、感動をラストにもってくる映画的なつくりにしてあるようだ。ほかにも細かい演出や台詞の訳語の違いもあって観比べるとテレビ版の方が自分は好みかな・・。最初に観た方に心をとらえられているだけかもしれないが。 

 「デカローグ」に話を戻すと、第七話「ある告白に関する物語」で、ある事件以来世間を避け森に住むようになった人物の熊のぬいぐるみだらけの家を観た時、坂元裕二脚本のドラマ「anone」に出て来たかわいらしげだけどそれゆえこわさもある森の家も思い出したのだが、先週放映されたやはり坂元氏のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」で

世をはかなんだ岡田将生氏が「森のくまさんになりたい」というようなセリフをいうもので、なんだかつながりを感じてハッとした。ちなみに「デカローグ」でのその人物とくまのぬいぐるみのかかわり方は、危ない空気も漂わせながらそれを生業としてなんとかぎりぎり自分を保っている感じでとても良かった。「デカローグ」に出てくる人物はそういう危機もはらみながらなんとかやっていく感じが出ていてすばらしく好感が持てる。違う回の登場人物の話が別の回でちらっと出て来たりするしゃれた雰囲気も楽しい。

アラン・アルダ

90年前後のウディ・アレンの作品(「重罪と軽罪」(89)や「マンハッタン殺人ミステリー」(93)や)でよく見かけていた俳優アラン・アルダ

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脚本と主演を担った「ある上院議員の情事」*1が知的で面白い感じだったので監督作品を二作品を観てみた。 「四季」 (1981)と、「くたばれハリウッド」(1986)(同名のロバート・エヴァンス作品とは別物)

 

「四季」はドラマ「金曜日の妻たちへ」(83)的に三組の中年カップルが四季折々に集まって時を過ごす物語。

「金妻」のような内部のドロドロはなく、「金妻」をみてからだとおとなしくみえる。あとでゆっくり考えると、タッチは同じTBSのドラマでも「カミさんの悪口」(93)などの方に近いかな・・

仲間がせっかくまじめに死の問題などを語ろうとしたらまぜっかえして終わったり、熟年離婚の犠牲になった傷つきやすい女子大生の扱いなどもじっくりしたフォローはなく、「やれやれ、困った」くらいの感じの処理で驚く。当時はこういう空気だったかもな・・しかし、80年代で中年カップルなどが出てきて、死をみつめるポール・ニューマン監督の「遠い追憶の日々」*2などはとても身近なアプローチの仕方で人生への寄り添い方が素晴らしかったなとつい較べてしまったりする。

だが、この作品、第39回 ゴールデングローブ賞(1982年)の最優秀作品賞(コメディ/ミュージカル)、最優秀主演男優賞(コメディ/ミュージカル)、最優秀主演女優賞(コメディ/ミュージカル=キャロル・バーネット)、最優秀脚本賞などにノミネートされている。確かに芸達者が揃い、とてもナチュラルに状況を演じてはいたな。

キャロル・バーネット、ビデオジャケットの表紙にも写っているアラン・アルダの奥さん役の人か・・なるほど。

自分の目にはリタ・モレノという女優さんが個性強めで空気をさらいがちのようにみえた。「ウエスト・サイド物語」でアカデミー助演女優賞ゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞している方らしい。

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 「くたばれハリウッド」はアラン・アルダ演じる研究者が書いた独立戦争時代を舞台にした小説が映画化されるのだけど、好きなように変えられて・・というコメディ。

 

アラン・アルダの母親役でリリアン・ギッシュが出てきたり、色男の俳優役でマイケル・ケインが出てきて、すごい役者の華を発揮したり、やはりロケに来る女優役がミッシェル・ファイファーで、一見可憐なんだけど、やっぱり女優だな、って感じだったりは面白い内幕もの。ボブ・ホスキンスという俳優さんが調子のいい脚本家の役でその面々と同じくらいの感じの扱いでビデオジャケット表面を飾っておられるが、ニール・ジョーダン監督「モナリザ*3の主役の人だったか!

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クシシュトフ・キェシロフスキ監督作品

クシシュトフ・キェシロフスキ監督、名前は存じ上げているけれど敷居を勝手に上げ、観る機会を逸してきた。

先日twitterで、#映像美がお勧めな映画10選 というハッシュタグで複数の方がキェシロフスキ監督の「ふたりのベロニカ」を挙げておられ観てみることにした。

 

 久しぶりの本格洋画、繊細に作られた上質の食事をしているような充実感に包まれる。筋は見た目もそっくりなベロニカという二人の女性がポーランドとパリにいて、というストーリーで、ケストナーの「ふたりのロッテ」も思わすのだけど、「ロッテ」のような種明かしはなく、パラレルワールドとか、心理学の授業できいた自分の人生で実行できなかった影に惹かれる話などを想起させられるものだった。時々耳にする双子の共時性なども。

そのあと続けて「トリコロール 青の愛」、「デカローグ」の第一話、第二話を観たのだが、いずれも死がとても身近な存在として出てきて、近年肉親や友人を亡くすことに見舞われた自分には親近感を持てるものだった。そして、twitterで言及されていた映像美、これはどの作品にも共通である。「ふたりのベロニカ」では美しい人形劇のシーン、「青の愛」ではタイトル通り青に彩られた場面、特に美しい青いシャンデリアなどが印象的。巨大団地を舞台にしたオムニバス「デカローグ」では、老医師の部屋や服装に至るまで薄いグレーが混ざったような詩的な映像が表出、病室の古い鉄管から漏れる水滴や医療器具に至るまで美しかった。

「青の愛」では、聖書の中の「コリント人への手紙」のこの言葉が出てくるのだが、

1たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 コリントの信徒への手紙一 13 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

 ミッション系の高校できいていたこの言葉、つまりこういうことなのだなと理解できた。

十戒」をテーマにしたという「デカローグ」の方でもこの文言は出てこないまでもやはりこの言葉を意識させられる流れがある。字面でみると深淵すぎてとっつきにくい「生きるとは」「愛するとは」というテーマがいずれもごくごく身近に起きそうなタッチのドラマとして、しかしながら香気に満ちて描かれていて観ていてこういう時間を持ちたかったんだという気持ちになる。

 

 

 

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雪之丞変化

 

名前だけは以前から知っていたこの作品、長谷川一夫林長二郎時代にも撮っているし、大川橋蔵美空ひばりも演じている。今回観たのは市川崑監督作品。長谷川一夫300本記念映画。

主人公が二役の舞台をからめた仇討ちものということで既視感があったのだけど、以前その系譜の石田民三監督の「をり鶴七変化」*1という映画を観た時、ビデオにはさみこまれた山根貞男氏の解説で

お家騒動、女形の役者、二役と見てゆくと、「雪之丞変化」(三五)から「小判鮫」(四八)「蛇姫道中」(四九)まで、長谷川一夫の映画がつぎつぎ思い浮かぶ。

と書かれていた。確かにこの形式の映画多いな。仇討ちも、早変わりも歌舞伎の見どころによくなっているし、格好のネタなんだろうか・・

舞台での姿が冒頭と終盤にうまく取り入れてあり、またそれがとても決まっていて、楽しませてくれる。雪之丞の師匠役八代目市川中車のしっかりとした演技も舞台場面の落ち着きにかなり寄与している。この方は初代市川猿之助の次男で、時代劇映画やテレビ時代劇にも出ておられるようで、これからそのつもりでちゃんと観たい。

よくふや町映画タウンの店長大森さんが長谷川一夫の所作の美しさについて語っておられるが、この作品をみて、長谷川一夫や二代目鴈治郎さんのちょっとした動作の端々に踊りの基礎を感じ美しいなと思った。

山本富士子が、元軽業師の女すりみたいな役。衣笠監督の「小判鮫」*2山田五十鈴がそのポジションだったが、山本富士子の軽やかさがとても良い!「女経」なんかでもだったけれど、山本富士子のまじめすぎない役私はいいと思う。「女経」はオムニバスものだったけれど、山本富士子の出演作もこちらと同じく市川崑監督だったようだ。市川崑のドライな感じの演出のお富士さんが私は好きなのかな・・

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撮影も部屋がとてもシンプルになっていたり、黒が強かったり、屋根瓦の美しさなどが表現されたり市川崑監督らしさを感じる。

市川雷蔵勝新太郎が控えめなポジションで参加。雷蔵さんは、長谷川一夫のもう一役「闇太郎」に対する引き立て役的な「昼太郎」という役なのだが、軽妙さがとても良く私の気持ちをさらった。