1965年 内田吐夢監督
盆休み、家族と名画の再見(家族にとっては初見)をしている。この作品、随分前にロケ地はあまり意識せず鑑賞していたが、家族も行ったことのある下北半島が出てくるということで再見。森林鉄道や温泉、恐山など良い風景が映像に残っている。撮影も大変シャープで意欲的。
そのあと舞台が舞鶴に移るのも、一瞬水上勉だしなあくらいの気持ちだったが、終盤刑事による三國演じる男の出身地の細かい描写をきいてこれは京都府北部のことを肌に沁みて知っている水上さんならではの設定だなとも考え直した。
初回は左幸子にただただ圧倒されて終わったし「皮肉な物語」みたいな感想を持っていたが、今回はすっかり忘れていた終盤の刑事パート、ここが肝心だったなあ、これこそタイトルの意味であったと感じ入った。年を取った自分には、伴淳演じる家族からもあきれられている刑事のくだりにぐっと来るものがあった。
wikipediaを読んでたら、左幸子や三國連太郎のキャスティングの経緯が載っていたが、本当に彼らで良かった。左さんでなければ違ったものになっていただろう。あのかわいらしさと振り切りっぷり。
すっかり物語の結末を忘れていたが人間の「おそれ」みたいなものとも絡ませてあるドラマの見応え、これはこの決着しかつけようがないなあと思わすようなラスト。忘れていたことに驚くやら新たな感想が生まれた自分に喜ぶやら。
北海道から伴淳まで呼んでいる取り調べが膠着したとき「お茶でも」と所長が声をかけて出てくるのがちゃんとしたお抹茶。こんなだったかと驚きつつ、余命いくばくもなかった友人が点ててくれた一服のお茶や、彼女がお茶を点てにいっていた大船渡の被災地、特攻に配属された故・千玄室に戦争から戻ったら千さんのお茶室でお茶を点ててほしいと望んだ同じ部隊のひとの逸話など思い出す。