1970年代NIPPON

あとがきより

1970年代の日本は、工業化と高度経済成長の時代で、日本人の生活が豊かで便利になったとよく言われた時期だった。
(中略)
この写真を撮影している間も、農村の人口は労働力として大都市に吸収されつづけ、農村の過疎化が進行していた。

70年代は自分が小学生〜高校生の年代。なんとかDKとか表現する住まいにあこがれたり、近所の店の宣伝の入ったカレンダーやらペナント的なものから必死で逃げたくなっていた時期。(後年のみうらじゅん氏のようにその感じをひっくり返して、いやげものとして愉しむまでの成熟はまだなかった。)
今、当たり前みたいにそんなものがはってある当時の農村の居間の写真が懐かしい。最近の、たとえば海外の方が古民家を買って暮らしておられるようなかっこよさでなく、ただ生活の場を写したその写真が、浮ついたものにあこがれ、切り捨ててきたもののようで、なんともいえない感慨。今村昌平の「人間蒸発」*1でいきなり訪れて映っている、蒸発者の農村の実家の姿みたいなのがあんなエグい形でなく写っている。
当たり前のように地域の行事をこなしてきたような風情。スマートになり過ぎて、以前の当たり前が面倒でたまらなくなるところまできている今を思ったりした。

81年の新潟で撮られた「地蔵年始」という写真、こどもたちがスタジャンを着てイヤーマッフルをしていて、70年代の写真とは一線を画している。「うる星やつら」のワンシーンなども思い出したり・・だんだんに地方と都会の区別がなくなってきている時代なのかなとも思った。

高知の「絵金」の絵をみるはなし、絵金で卒論を書くという京都の女子大生との話おもしろい。知らなかったが、夏の祭礼の夜の芝居屏風をかいていた画家なのだな。(こちら参照)


1970年代NIPPON

1970年代NIPPON