セルロイド・クローゼット

先日ウィリアム・ワイラー監督の「この三人」*1とリメイク「噂の二人」を観比べて、原作にある同性愛の要素が前者では形を変えざるを得なくなっていたのを確認。ちゃんと描きたくてもう一度作ったのだなあと。

ハリウッドが同性愛をどう取り扱ってきたかを検証していったドキュメンタリー「セルロイド・クローゼット」内で「噂の二人」で同性愛者を演じたシャーリー・マクレインが「噂の二人」について語っているという話を読み、「セルロイド〜」を再見した。

シャーリーによると、「噂の二人」で彼女の演じる同性愛者が自分を責める流れではまだまだだと。

自分は「噂の二人」を観た時、まずは同性愛という噂と闘かう体裁から始まり、途中から噂がもし事実として、という問題に突き当っていく構造にいたく感心したし、彼女の置かれた孤独に圧倒されたのだけど、「セルロイド・クローゼット」の序盤から語られている、映画は社会の規範をつくる、たとえば、初期の頃出てくるゲイの姿は笑っていいものとしての登場の仕方であるという話の流れでは、シャーリーの唱えることにも一理あるかもしれない。

紳士は金髪がお好き」で女装、「スパルタカス」で同性愛を思わすシーンをカットされたトニー・カーティスのインタビューも入っていたが、「紳士は〜」だとか「グレートレース」*2だとかの彼の調子のいい役柄と彼を重ねてみていた自分は、勝手に持っていたイメージとはちょっと違う様子にそんなの当然なのにはっとしたりした。

たくさんの映画からの考察がなされていていちいちメモしていたのだが、wikipedia にちゃんとまとめてあった。

ja.wikipedia.org