残菊物語(1939)

大庭監督の「残菊物語」*1をみて、もともとの溝口監督のバージョンを再見したくなった。
大庭監督の、昭和38年に作られたバージョンはとてもわかりやすく、大庭監督のをみてすぐに溝口監督のを再見すると私には以前みたときより理解が進んだ感じがする。溝口監督版は、昭和14年に作られていて、歌舞伎のお約束のようなものがいろいろ説明しなくてもみている人みんな知っている状態だったと推測されるし、知っていることの説明は野暮とばかり言葉などによる説明よりも心を映す情景に力が入っていると思う。
最初の菊之助の舞台の後の舞台裏の情景や、菊之助が大阪で復活して「積恋雪関扉」の墨染を演じている時、桜の舞う舞台を見守る御簾の中の友人福助の様子、ふと菊之助が物思いにふけるときの寺島の家の庭、菊之助を送り出した後のお徳さんの心のうちをあらわすような大きな影の表現など大変凝った画面ばかり。人物のアップの場面が少なく、絵巻の中の物語のよう。
美術考証に木村荘八氏の名前。でも美しい画面の構成は三木滋人の撮影や美術監督の水谷浩氏のお仕事が大きいのだろうか・・(最後まで読めない記事だけど福田和也氏のこちらの記事参照)
大庭監督版はお徳さんが岡田茉莉子で、これもよかったのだけど、もう一回溝口版をみると、この森赫子という人のはかなげな(でも芯のしっかりした植物のような)感じがさらに話になじんでいるような気持ちもした。
また大庭版で「おっ」という気持ちになった、大泉滉が演じていたドサ周りの一座にいる女形風の役者の描写や、名古屋の宿にいた左卜全などの役回りの存在がずっと薄く(溝口版には左卜全の演じた人出てこず)、きっと大庭監督はこのお二人が好きだったんだろうなとにやっとしたりも。

みたのはVHS版

☆このあと、NHKプレミアムカフェの「杉村春子への手紙 〜1500通につづられた心の軌跡〜」という番組をみていたら、杉村さんと親交のあった人形作家のホリヒロシさんが出てこられ、杉村さんが立ち姿の美しさをこちらの主人公を演じられた花柳章太郎さんの姿から学ばれた話が出てきて、章太郎さんががっちりした体なのに女形をきれいに演じられる話が出てきた。確かに章太郎さんとても美しい姿をされていたし、がっちりなどとは思いもしなかったなあ・・