先日、遠藤周作氏の誕生日ということで回って来たtwitterをみていて、中高時代に読んだ「おバカさん」という小説が、キリストの姿をユーモア小説の形で描いていて好もしかったこと、また「聖書の中の女性たち」という本に出てきた慶応大学の同級生の「ひよこ」さんという方が印象的だったこと・・その後ひよこさんはどうされたんだっけ?などということが頭に浮かび、検索してみたらひよこさんは修道女として白百合学園で働かれその半生を書かれた本があったのだった。
遠藤さんにつけてもらった「ひよこ」というあだなをタイトルにしたこの本、遠藤さんとのやりとりを一番楽しく拝見した。しょっぱなの電話から「敬虔なカトリック信者の遠藤と申しますが」などと名乗る遠藤さん・・茶目っ気があり、ああやっぱり北杜夫さんと仲良かった感じがとてもするなあと思う。怪しいとも思われずそんな電話で会う約束をされるひよこさんも筋金入りだ。
「聖書の中の女性たち」にもテストの時ひよこさんからノートを奪う話がありとてもおもしろかったのだが、ひよこさんの説明を読んでいると脚色があったようだ・・さすが遠藤さん、プロだなあ。とてもおもしろいく拝見したしずっと今でもその描写を覚えている。
その後もひよこさんのために一肌ぬがれたり、遠藤さんのあたたかくて素敵な人柄がとても感じられた。お二人の写真もとても素敵。
遠藤さんが昭和四十五年に仙台白百合短期大学大学祭記念講演会で行われた講演のことも心に残る。「夜と霧」の中で病人の枕元になけなしのパンを置く人の話。また、フローベルの「こじきとマルチノ」からの
あのお話のこじきは、こじきではなく人生なのです。
(中略)
人生もこじきのように、垢に汚れ、膿でただれたみすぼらしいものです。マルチノがこじきを抱きしめれば抱きしめるほど、こじきが光り輝くものとなったように、人生ももっともっと抱きしめることによって光を放ってくる。そして尊く価値のあるものとなるのです。キリストも、ゴルゴダの丘の上まで十字架を捨てませんでした。あの十字架も、やはり人生なのです。苦しみ、悩み、罪のかたまり、それをキリストは引き受けたのです。
ボロボロの人を抱きしめたらキリストだったという聖マルチノという方の話、マルチノという名前は忘れていたけれど、「情けは人の為ならず」のような解釈をしていたのだけど、この解釈に遠藤さんのものの見方を感じ、また遠藤さんの書物を読みたくなった。
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