映像の世紀 第一集


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日本映画専門チャンネル時代劇専門チャンネルで12/24同時一挙放送するとのことで先日第一集を放映していた。

歴史の理解がすんなりいくということで評判をきいていたけど、ほんとに、整理された生の記録というのはとてもありがたい。

くらべていうのはなんなんだけど、このところ、フランク・キャプラが作った第二次世界大戦の戦意高揚映画「Why We Fight」*1をみていたのだけど、とにかく目的を達するために資料を集めて作っていて、劇映画からの映像とニュースフィルム的なものが混ざっていて、それと日本が敵国であるからもちろん、釈明の余地のない感じで描かれており(事実もあるだろうけど、やはりそこは当たり前のずれも感じてしまって)、残っている映像を整理して、それがこういう映像であろうと伝えてくれる「映像の世紀」のまとめ方のありがたみをえらく感じているところなのだ。撮影されたときから一定の時間が経って一応ちゃんと説明できる域に達している情勢というのもあるのかな。

第一集では、たとえばちょうどヴィクトリア女王の逝去の頃渡英した夏目漱石の書いていた文章とそのころ漱石がみていたであろう風景をうまく編集してとてもわかりやすく編集してあった。誰が撮ったどういう映像であるのかがちゃんと説明されているところがとてもありがたい。ロマノフ王朝の最後を紹介するあたりでのラスプーチンと思われる人物を確認がとれてないとの事実とともに伝えてくれる丁寧さに好感を持つ。

トルストイの晩年の映像が、ガンジーにあてた書簡とともに紹介されていたが、トルストイを遠い昔に生きた書棚の中の人物というのでない、その人生のなかでいまを生きる自分に届くことばを綴っていた人としてとても身近に感じはじめている。

清国の最後の方の映像も当時の庶民の実態がどういうものだったのか、とてもわかりやすい形で自分に伝わっている。

 

フランク・キャプラの第2次世界大戦~戦争の序曲  WHY WE FIGHT

 少し前に1,2巻*1だけみていたフランク・キャプラの「Why We Fight」の3巻から先をみる。下のアマゾンの一覧には、もともとの6巻である「日中戦争」の巻は載っていない。もろ日本の話で、はじめは発売が見送られたとか?このビデオ群の中でも日中戦争の巻だけ吹き替えでなく、字幕。3,4巻はヨーロッパの話で、「これがダンケルクか・・」などの感慨があったのだけど、とにかく、戦意高揚映画だけあって(きくところによると、ハリウッドはヨーロッパから迫害されてやってきた人たちが多くを占めていて、ファシズムへの拒否感が強く、政府よりずっと戦争に前のめりだったよう。こちらの記事もそのあたり参考になった。)ロシアだとか、中国だとか当時の味方をすごく礼賛している・・・なんかその後のアメリカとの関係を思うと不思議な気持ちになるけれど、それは後からみて思うわけで、当時を知るための映画だ。「このフィルムは歴史的に重要な価値を持つものであるが、この映像を提供する組織の現在の政策や方針を反映するものではない」というような注意の言葉が毎巻しょっぱなに流れるのもそういうことかな。大林宣彦監督が、アメリカの戦争ドキュメンタリー映像に理解しやすければ平気で劇映画がまざっているという話をされていたが(かなり肯定的ないいかたで、伝えことを伝えるのがベストだからと)、この映像がまさにそれで、みているこっちはどこまでがリアルなんだ・・と、逆になんかみてきたような話をきかされているような気分にもなる。でも、こういうものが作られ流されていた、そこが一番大事なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の世紀 第二部

天皇の世紀」のテレビドラマ版がふや町映画タウンに入荷した。どうも天皇の世紀というのは一部と二部になっていて第一部はテレビドラマ、第二部はドキュメンタリーだったよう。(wikipedia参照)

この機会に、と、以前日本映画専門チャンネル伊丹十三特集の時放映され録画していたドキュメンタリー版の方をみてみた。伊丹さんがずっと通して進行係をしている。演出担当はそれぞれ・・これまたテレビマンユニオン今野勉さんとか、黒木和夫さん、また伊丹さんの回もある。オープニングの冨田勲の音楽、そして絵がなんともかっこいい。絵はwikipediaによると中川一政さんという方の絵らしい。

73年当時の京都の町中で撮っていたりして風景も懐かしい。たとえば薩長同盟の回で、薩摩藩邸だった同志社大学の正門がうつるのだが、70年代らしい学生運動っぽい文字の立て看板などもうそれだけで懐かしい。また池田屋騒動のときは、北大路駅から市電に乗って御所あたりまで伊丹さんが電車の中でしゃべっていたり。。人を喰ったような独特の番組作りがなんとも伊丹さんらしくてわくわくする。龍馬暗殺の回の、河原町三条と四条の間も70年代こうだったなあともう胸がかきむしられそうになる。

伊丹さんの担当した廃仏毀釈、考えもなしに大きな流れに迎合してしまう日本人の話は胸にささる。第二十五回「武士の城」では、仙台藩世良修蔵の関係が語られたが、世良修蔵という、維新で成り上がってずいぶん横柄な態度で会津をうつべしと仙台にせまった人、なんだか現代でも、こういう連中いるなあと思ってしまった。第二十六回「絶筆」では、長岡藩のことがとりあげられていた。テレビでやっていた大林監督の最後の講義という番組*1で、長岡のはなしがでてきたことを思い出した。(「負けた側の歴史」負けたさととかおっしゃってたかなあ・・?)

 

三里塚に生きる

 成田の闘争とは何だったのか、当時の資料映像を織り込んで、あくまでも個々人の辿ってきた道を描くことで表現している作品。闘争というと、リアルタイムの絶頂期にはかたまりとしての主張が取り上げられるけれど、個々の歩み方があるはずで、それが時間とともによりくっきりしてくることが映し出されている。東北の温泉写真をみて以来*1、お名前を気を付けてみている北井一夫氏も出てこられる。wikipediaで経歴をみていると、「アサヒカメラ」で「三里塚」の連載をされていたのが、69年から70年、そのあと70年から73年にかけて湯治場などを回り、つげ義春さんとの仕事などもされているよう。

井浦新氏が闘争の中で亡くなった若き男性の遺書を朗読しているのも井浦さんらしいお仕事と感じた。

三里塚に生きる [DVD]

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わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱

 

わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱- [IF<INDEPENDENT FILMS > DVDシリーズ2 公害の原点・水俣から学ぶ]

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みたのはvhs版

水俣病関連の土本監督のドキュメンタリーのシリーズに石川さゆりの名前があってはじめみたときは、どういうことなのかなと思っていたら、青春を迎えた胎児性患者の人たち(「水俣・若い患者の会」の方々)が何か自分たちでやってみようということで熊本出身の石川さゆりのコンサートを開催したことを記録した映像だった。患者さんたちの自分もできることを何かしたいという思いは、私も脳出血で身体不自由になり長い闘病生活を送った母を通してリアルにわかる。施設にいるお年寄りの患者さんにぜひみせてあげたいという若い患者さんたちの気持ちも、病を得ているからもっとお年寄りに寄り添えるのだなあと、こちらも自分の拙い経験から感じられる。しかし、この映画の良いところは、よく安手のテレビ番組や映画にあるようなここで泣きましょうみたいな変な効果音で観客の情緒をコントロールするのでなく、事実を淡々と伝えているところ。土本監督の仕事なのだから当たり前なのだろうが、さすがそこが一流と感じた。

はたちの石川さゆりの姿も素晴らしく、これから石川さゆりをみる視線が変わりそうだ。そして、石原慎太郎環境庁長官として水俣を訪問し、このコンサートに道筋をつけた話もまじえられ、ともすると石原慎太郎的なひとのことを一色の色で考えがちだった自分の気持ちにも新たな視点を与えられた。(検索すると石原慎太郎水俣の人への暴言→謝罪などもすぐ出てくるので評価はなかなか難しいのだけど、先日NHKで放映された「ザ・ベストテレビ」でも、本年度のギャラクシー賞を受賞した「教育と愛国」を放映後、とりあえずどんな相手でもインタビューして生の声をひろうことの重要性の話がでてきて、はっとさせられたし、はじめに評価ありきでなく本体にあたってみることの重要性というものも感じる昨今である。)

 

 

はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮

movies.yahoo.co.jp

 

土本典昭監督作品。筑豊の炭鉱労働にかりたてられた朝鮮人労働者を描く画家富山妙子氏。炭鉱の朝鮮人炭鉱労働者のことは「にあんちゃん*1をみて気になっていた。鳳仙花は韓国の花、はじけた鳳仙花の種に朝鮮の人たちの思いを描く富山さん。居ずまいを正してみなければいけないようなテーマだが、画家富山さんの制作の悩みにズームしていて見やすくもなっている。富山さんの先鋭的な感じが李礼仙のナレーションとあいまって訴えるシーンは当たり前だがつらさもあるが、コリアキネマ倶楽部に解説パンフから引用されている土本監督の

実は制作の過程は、富山さんの体の中に蓄積された、帝国主義日本への抑え切れないほどの憎悪と朝鮮のひとびとへの贖罪感へのあらがいと反発が私にはあった。だが富山さんのそれには、実体験が確かにあってのうえでの表現であった。
 「ハルピンで車夫を撲りつけて平然とタダ乗りした日本人」「〝某鮮人〟として葬って恥じない戦時中の炭坑の管理者たち」……。それらをつぶさに目撃したひとのお荷物の重さに私は圧倒されないわけにはいかなかった。「私自身、いつ加害者になるかもしれない」そんな重いが切迫する日もあった。そうしたにんげん富山妙子との衝突がこの映画なのである。

との言葉に納得した。

映画の後半、治安維持法で犠牲になった同志社大学に通っていた詩人尹東柱氏のことがとりあげられていた。尹氏が住んでおられ、連行された京都の武田アパートがあった場所が自分の住んでいるところのごく近くであり、そこに石碑が建っていることから尹氏のことはとても気になっており、この映画の中で出会えたことをありがたく思った。

尹氏の元アパート前の石碑について書かれている記事をいくつかみつけた。同志社にある石碑と共に写真入りで紹介されているのがこちらこちらの記事には、下宿近辺のことがしっかり書かれていて自分の住んでいるエリアだけに胸に迫った。

 

はじけ鳳仙花 [VHS]

はじけ鳳仙花 [VHS]

 

 ponyman.hatenablog.com/entry/20120428/1335616370

神宮希林

映画『神宮希林 わたしの神様』公式サイト

この中での、お伊勢さんにまつわるありがたい装束をお店の方にプレゼントされかけて何度も固辞する希林さんの話を以前きいたことがあり、ほぼそれの確認の意味でみはじめたのだけど、この断る感覚わからないでもないなあ。ここまでしっかり断れるわけではないけれど、希林さんは掃除の時に、着られなくなった服をモップの先にくっつけて「しまつする」、最後まで使い切るという話をされていたので、ただ置いておくだけになることが決まっている装束を受け取るわけにはいかない気持ちだったんだろうな。それが宗教的なものなら尚更いい加減には扱えないし・・という気持ちすごくわかる。

番組の中で何度も挿入される森永エンゼルの音楽が希林さんが、伊勢神宮に行って感じたことの要なんだな。なんというか、よりどころ、支えとしている人がいるよ、その思いが一番尊いということ。東北の被災地も訪ねられそこでもやはり、小さな小さな神社を気持ちの支えとしてお祭りを営んでいる人たちの姿に注目されていた。また、家を買われるにあたってお祓いをしたほうがいいといわれたけれど、住むのは自分だから専門家のお祓いでなく、自分が一心に祈ることで通じさせるという話。伊勢神宮がどうというより、希林さんの宗教観に触れる作品だった。