「男の愛」、「若き日の次郎長 東海の顔役」

町田康の次郎長伝「男の愛 たびだちの詩」を読む。次郎長の養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』をベースに現代によみがえらせた作品。

町田康の本を読んだあと、次郎長が侠客になるところという時代的には同じ映画「若き日の次郎長 東海の顔役」を観たが、実際は「男の愛」流に事件を起こして任侠にならざるを得なかっただろうに、困っている皆に米を届けるため米屋をやめて任侠になるというなんだか無理やりのこじつけの筋立て。ロマン重視の英雄的次郎長伝であった。。「男の愛」の方は、米の値段が上がるとみればさっさと多めに仕入れて儲け・・でもその生活に飽き足らなくなる次郎長の姿がきっちり描かれ、人間の情念ってなんなんだと読むものの気持ちを文学的な方向に誘う。

町田康、「ギケイキ」*1でも、戦は強いけれどとんでもなく子供っぽいそして現代人が読んですごくよくわかる義経を描いて、「鎌倉殿の13人」の義経像と重なるようなものを感じたのだけど、本家「義経記」にとても忠実に描かれているともきいていて、これぞ町田文学の神髄だなと感じる。時代劇的な言葉、出来事がすっかり自分のものになっていてそこからの跳躍。

町田氏のその感じ、↓にも少し紹介されているが、

www.nhk.or.jp

NHKのカルチャーラジオで講演していた「私の文学史」でも町田文学のルーツが聴けて楽しかった。↓本にもなったようだ。

さらに「男の愛」でよかったのは、渡世人が土地の親分に草鞋を預けるというシステムについてちゃんと説明してあるところだ。流れ者ってどうやって暮らしているんだ?ということに対する解がきちっと書かれている。

 

映画の「若き日の次郎長 東海の顔役」は、次郎長以下の子分について、森の石松くらいしか知らなかった自分には、お坊さんの格好をした法印ってこんな感じで登場するのだな、とかいう面白さがあった。

次郎長が鉄砲を武器にしているのは相手が刀だけに圧倒的な強さを嵩にきているようにもみえてしまい少し抵抗があった。次郎長もので必ずしも銃が出てくるわけでなく、「若き日の次郎長」シリーズが銃の次郎長が出てくるものらしいのだが・・

少し前に観た「若き日の次郎長」シリーズのスピンオフ作品「喧嘩笠」*2に出てくる大前田の親分というのが登場するのは、線のつながる嬉しさ。大河内傅次郎が扮している。次郎長の父三右衛門に月形龍之介。最近このお二人の風格を観るのが大いなる楽しいになっている。

それと、光っていたのは三五郎という流れ者を演じていた東千代之介。踊りの名手ときいているが、確かに流麗な立ち回り。自分の目には錦之助演じる主人公より魅力的にみえてしまった。

死んでもいい

 

石井隆監督追悼の気持ちから鑑賞。

ダレない展開、動物のような惹かれ合う気持ち。巻き込まれているようにみえながら実は一番重罪の大竹しのぶ。途中彼女の名前が「名美」とわかり、石井隆監督の脚本作にいつも出てくる雨と縁の深いファムファタール、名美のシリーズだったんだと気がつく。

永瀬正敏大竹しのぶの情念の炎をくらう室田日出男が素晴らしい。愛すべき中年男。完全に彼側で作品を観てしまう。彼の良さがなければこのストーリーの葛藤、ドラマの陰影は成立しない。

永瀬正敏が恋しい女の家のドアの前でとる行動に、文楽的表現、物語を感じた。強い手の表現。物語自体の展開も古典劇的な世界。自分は逆に古典劇で描かれている実相とはこういうことかと思いを馳せた。

竹中直人の演じた不動産物件へのひやかし客、とてもリアル感あり。

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「次郎長と小天狗 殴り込み甲州路」、「喧嘩笠」

先日観た「悪名 縄張荒らし」での北大路欣也さん、元々田宮二郎さんが素晴らしい評判をとった「モートルの貞」を悪くない感じでリメイクされていて、そういえばとても若き日の「水戸黄門 助さん角さん大暴れ」なんかもよかった*1なとこれまた欣也さん若き日の「次郎長と小天狗 殴り込み甲州路」(1962)というものも観てみた。

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この欣也さんはところどころこなれていない感じもあり「小天狗」ゆえか、まあ愛嬌はあるんだが、少々天狗発言もあったり、それが二世の役ゆえ、みる方が現実と勝手に重ねてしまうところもあり、喝采をあげたいというほどのものではなかった。首の動かし方などに、踊りをやってこられたかなという気配は感じられたが。

「若き日の次郎長」のシリーズの四作目ということで次郎長一家とからませてある話なのだが、石松を演じていたジェリー藤尾は大層良い。カワイイ感じが出ているし、小天狗にくらべると、石松が大人にみえてしまう鷹揚さ。ジェリー藤尾ケーシー高峰は、私の中で、「テレビで変なイメージが定着してしまったが、映画ではいい仕事をしている」お二人となった。

 

どうせならと、同じくマキノ監督が大川橋蔵の小天狗もの「喧嘩笠」(1958)も観てみる。

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こちらの方が断然いい。大筋はほぼ同じ。台詞なども重なっているものも多い。ただ構成上も、62年版はえらく簡単にまとめてあって、この58年版の方が、歌舞伎や文楽なんかによくある「その時は意図を図りかねたけれど、こういうことか!」という筋回しが良いと思った。そのまだるっこさを排除してしまったのが62年版でわかりやすいけれどコクがない展開のように感じてしまった。戦後の歌舞伎衰退という話とも関係あるのだろうか?

大友柳太朗の次郎長、さわやかで良い。薄田研二氏が両方に同じ役で登場。渋い面構え。そして、堺正章の父、堺駿二が軽快に映画を盛り上げている。

タイトルの「喧嘩笠」を感じるシーンは、両作品とも良い。そこに至るまでの楽しさその後の流れなどは断然58年版が良かった。大川橋蔵氏の踊り。調べると、橋蔵氏は歌舞伎出身で歌舞伎の鍛錬を怠らなかった方とのこと。あの踊りで納得がいったし、踊りから立ち回りに至るシーンが楽しい。62年版は観くらべると、ドンパチと解決しただけみたいにみえてしまう。

次郎長ものあんまり観ていないので、石松以外のメンバーは大政、小政の名前くらいしか知らないが、この映画で「法印大五郎」に興味が。調べると最近気になっている田中春男さんの当たり役とのこと。

「喧嘩笠」、原作は同じで萩原遼監督の1953年、大河内傳次郎の次郎長と片岡千恵蔵の小天狗バージョンもあるらしい。ストーリーをみていると大元の話は同じでも、マキノ版とは流れが違う。

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京都 近現代建築ものがたり

最近オンライン講座にちょこちょこアクセスしている。先日参加したフランソア喫茶室の話*1も聞き手の京都市京セラ美術館ディレクターの前田尚武さんの聞き方もとても良くて、前田さんから「まいまい京都『あつまれモダン建築部』」

www.maimai-kyoto.jp

に引き寄せられ、そこから、↓の本の著者倉方俊輔さんに導かれ、著書も読んでみることに。

80年代にレトロブームというのがやってきて以来、明治に建った建物も昭和初期に建った建物も一緒くたに「洋館、素敵!」というミーハーな気持ちで眺めているだけ、建築家の名前は断片として入っているだけの自分だが、この本は歴史、それぞれの建築家の個人史から入って、意図を踏まえた形で建物をみることを教えてくれる。

伊藤忠太やヴォーリズ*2のエキゾチックな姿かたちには惹かれるものの、旧都ホテルなど一見飾り気のない建物、京都信用金庫など菊竹清訓のお好きな方は追っかけておられるけれど、日常的に利用している市民としてはその見どころがよくわからなかった建物のことなどを、どういう思想でこういう形をしているのかということがわかりやすく書かれており楽しめた。

にやっとしたのは京都タワーの章、長谷川博己の父建築評論家の長谷川堯が書いたという

「山田守といえば、晩年にあの悪名高き京都タワーをデザインしたひとだ」

という言葉から始まる文章。建つときに大変反対されたことは知っているし、子ども心にもなんかサエない建造物だと思っていたのだけど、

長谷川氏の文章の続き

しかしこれも完成してから十年以上経過してみると、山田守のデザインはなかなかのものであったことを思い知らされる。<中略>山田さんは、とにかく建築の外形ということに関しては誰よりも本気であった建築家だ。そして、その形がひとの心になじむことをいつも真剣に考えていたひとであったことに、やっと最近になって私は気付いた。

に頷いてしまった。少し年齢が上の友人とも話して同意してもらったのだが、京都タワーの60年代風のデザイン、年齢とともに愛すべきものにどんどんみえてきているのだ。長谷川氏の書いておられるのもそういうことだろうか?

最終章の京都市京セラ美術館、こちらの建物は1933年に建った元の形も良く、リニューアルを心配していたけれど、とてもいいものになっている。それは展示場の配置をかえることで、収蔵物に光が当たる心配をすることなく、外の世界をとりいれられる構造になったからだったんだなと再認識。

この広々とした眺めは今までにはなかった。

レトロでかわいらしい!と感激してしまった二階バルコニーは新設らしい。私は写真を撮ってなかったが、この横の螺旋を描いた階段も新設された場所だけどバルコニーと同じくクラシックな空気が流れ、写真がよく撮られているスポットらしい。

色々と身近で楽しい読み物だった。ところどころ、文章だけの説明だとどこを指しているのかわからず難しく感じたところがあり、オンライン受講で補完したくもなった。

*1:京都の文化サロン フランソア喫茶室 - 日常整理日誌

*2:素人っぽいので一般市民発で彼の建築の評価が高まっているものらしい

京都の文化サロン フランソア喫茶室

先日佛教大学のオンラインセミナー「建築から読み解く歴史」という講座の「京都の文化サロン フランソア喫茶店」を聴講した。四条の老舗喫茶フランソアの創業者の娘さん 今井香子さんのお話を京都市京セラ美術館ディレクターで学芸員の前田尚武さんが聴かれる形式のもの。

↓こちらの「フランソアについて」というところでもざっくりとは触れることができるけれど、

www.francois1934.com

臨場感あふれる形でフランソアの建物、(洋館風だけど日本家屋をそうみせているだけで二階は純日本風畳の部屋でドームを和室から吊っているとか)や、そこに集う人々の話をきくことができた。

特に、HPにもこの↓ように載ってはいるが

1947年、営業を再開し同時に南側の旧店舗に「ミレー書房」を開き、一般には入手困難だった洋書や思想・哲学書を販売しました。1950年には書店部門の担当者が独立して「三月書房」を創業し、南側店舗も喫茶室へと改装されました。

寺町の「三月書房」とのかかわりは私にとってははじめて知ることだった。三月に開店したから「三月書房」という話も出て来たが、こちらのインタビューにも載っている。(三月書房も2020年末に廃業。今、週休7日と貼りだしてある。)

「ミレー書房」という名の書店、昭和40年代に「フランソア」の場所でなく、河原町通からすぐのところにあったのを自分は記憶しているのだが、三月書房のブログにも無関係のものとして紹介されている。(こちら)。

おはなしの中で出て来たのが森まゆみさんの「暗い時代の人々」。

 

戦時中斎藤雷太郎という役者さんが反ファシズム統一戦線の小さな新聞「土曜日」を出していたのだが、それを支えていたのがフランソアということで、鶴見俊輔氏に、森まゆみさんの出してこられた地域誌「谷根千」とも重なるところがあるからフランソアについて書いてみたらと出版社を通して声をかけられたのだそう。

フランソアと「土曜日」のことは京都新聞の連載で少し読んでいて、↓の本が出た時も購入したのだけど積読になっていた。

 

「暗い時代の人々」の中ではフランソアの創業者立野正一と斎藤雷太郎のことが1章割いて書かれていて今回その章はちゃんと読むことができた。娘さんの今井さんのおはなしの中で淀川長治も「週刊土曜日」に映画の記事を載せたことがあると出て来た。

美術的なことでは、↓の写真にも写っている紋章は「フランスか何かの貴族の紋章を模した」、ステンドグラスは北側はs16~ 写真に載せている南側はs25年から高木四郎という須田国太郎のお弟子さんのデザインでできた、現在は左のメニューだけどその前は昭和9年に藤田嗣治が作っていて今は店には一枚だけ、三高会館にも展示してあること・・*1等々、まとめきれないほどの人脈が登場した。

フランソアには、モナリザの複製画があり、あまりにメジャーすぎ、複製複製したものをなぜ飾ってあるのかと思っていたが、関西に二枚だけあるメディチ家が複製したものということだった。

殿山泰司の彼女がフランソアの女給さんだったので、新藤兼人の映画「三文役者」にもフランソアは出てくるのだけど、HPによると、瀬戸内晴美の「家族物語」という本にもフランソアが出てくるらしい。

 

 

ドナルド・キーン氏との関わり、文楽人形スケッチ画展・・ちょっと自分に関心のある項目だけでも枚挙にいとまがないのだけど、まとまらないのでこの辺で。

最後にひとつだけメモ。森さんの本によると、「土曜日」の斎藤雷太郎について、伊藤俊也監督が『幻の「スタジオ通信」へ』という本をまとめているらしい。

著者その人の思想や屈折、映画界に関する膨大な知見が入り、やや読みにくい

と評されているのだけど、「誘拐報道」「花いちもんめ。」*2と観てきて、そのあと東条英機の「プライド」を撮った監督かと気になっているもので、そのやや読みにくいといわれている本も気になっている。

*1:森まゆみさんの著書にも藤田嗣治のメニューが掲載されている

*2:花いちもんめ。 - 日常整理日誌

「悪名縄張荒らし」、「悪名」

NHKBSプレミアムで再放送している田辺聖子がモデルのドラマ「芋たこなんきん」をすごくゆっくりゆっくり観ているのだけど、國村準氏演じるパートナー、カモカのおっちゃんの父を演じる小島慶四郎さんのとぼけた味が気になり、小島さん出演作の「悪名・縄張荒らし」(1974,増村保造監督)を鑑賞。(小島さんは勝新演じる朝吉の遊び仲間役。)

「悪名」と「続・悪名」(両方1961年 田中徳三監督)のリメイク作とのことで、オリジナルの方はずいぶん前に観ていて、田宮二郎演じる弟分モートルの貞が軽妙な魅力にあふれすごく良かったことだけ記憶にあった。リメイク版では貞を北大路欣也が演じているということでちょっと心配しながらの鑑賞であったが、欣也さんの貞も悪くない。勝新太郎の披露する河内音頭も大層魅力的だし、二代目鴈治郎さんの台詞のこく。義父との対峙か・・なんて思いながらの鑑賞も楽し。杉村春子氏の親分役も珍しいのでは?

かなり忠実なリメイクだそうで、オリジナルももう一度観てみる。

 

オリジナルの方は勝新の若さに驚く。まだまだかわいらしい感じ。田宮二郎の貞はやはり魅力的。「縄張荒らし」は二作をまとめたものとのことで、オリジナルの方が説明が丁寧。「縄張~」の方の杉村春子の女親分とのやりとりのシーンはオリジナルでは浪花千栄子が演じているが、こちらの方が経緯がきちんと描かれていて、説得力がある。この女親分のエピソードは因島が舞台だけど、杉村春子の地元広島アクセントは聞きどころ。

勝新演じる朝吉の妻になる道頓堀の食堂づとめの女の子 お絹の役はオリジナルでは中村玉緒。オリジナルの方が可憐でいい。両方のストーリーとも朝吉が足抜けを手伝う娼妓の物語がメインになっているのだけど、この娼妓の役、「縄張荒らし」では十朱幸代、オリジナルでは水谷良重で十朱幸代は本当にはかなげ。朝吉に妻がいることを彼女が知るシーン、妻役の望月真理子がちょっとキツい感じなのも相まってとてもつらい。水谷良重の方がうらぶれ感が強く、話の流れが自然にみえる。そして哀れさがあった。

朝吉の妻の友人役(貞の彼女役)は、「縄張荒らし」の方では太地喜和子。出色。

朝吉がわらじをぬぐ、モートルの貞の元の親分吉岡は、山茶花究演じるオリジナルの方がまだ体裁を整えた設定。増村版ではものすごく情けなく描かれ容赦がない。全体に増村版の方がコントラスト強め。吉岡の子分の台詞などは一緒なのだが増村版の藤田まことが口にすると面白さ倍増だった。因島の旅館の仲居も、「縄張荒らし」では樹木希林が演じ、滑稽味がかなり加わっている。

トータルにみると「悪名」と「悪名 縄張荒らし」それぞれ甲乙つけがたい魅力があるが、描き方の丁寧さから考えるとオリジナル。増村リメイクで際立つメリハリ、「暖流」や「千羽鶴」に引き続き感じる。

両方闘鶏のシーンが出てきて、河内、今東光の世界という感じ。「盗まれた欲情」*1でも確か鶏出てきたな・・(闘鶏というより食用にみえたのだが・・)

ライムスター宇多丸の映画カウンセリング

 

以前宇多丸さんのラジオで事前になんの情報も集めず、興味を持っているわけでもなしのまっさらな心で映画を観にいって感想を述べるコーナーを聴いていて私が関心ない映画であってもその話がとても面白く、つくづく「これぞ芸だな」と思っていたのだけど、この本もその話芸が遺憾なく発揮されている。

映画を深く観ているからこその愉しめる文章なんだけど映画は通過点でしかないような、そこから明快で楽しい人生論に入るマクラのような感じで味わった。

 

宇多丸さん、「森田芳光全映画」という本も出されていて、

先日丸善で行われた水道橋博士とのトークイベントを視聴した。第三回だったので、最後期の森田作品について語っておられた。

自分は森田芳光監督の作品、「の・ようなもの」や「家族ゲーム」で出て来た当時は目を見開いて観ていたのに、だんだんに「?」と思うことも多くなってしまった*1のだけどとっても愛情をこめて森田監督のフィルモグラフィーについて語り「椿三十郎」のリメイクの経緯を説明されたりしていて、森田監督見直さなきゃな、そしてこの本も読みたいなという気持ちになるものだった。

 

毎夕6時からの宇多丸さんの「アフターシックスジャンクション」でもだけど、名画座や古典映画へのリスペクトを独特の軽妙な語り口で語っておられ、そのことがとても嬉しいし、これからもラジオや著作に触れていくつもり。

*1:模倣犯」のラストの飛躍しすぎて絶句してしまうような演出や「黒い家」の大竹しのぶが物理的にこわいだけになってしまっている様子、「阿修羅のごとく」の、どうも元あったドラマ版を超えていると思えなかった様子など