今週はふや町映画タウンのオススメにあがっている名作を三本鑑賞。
一本目は「サブウェイ・パニック」(1974)。
一時パニックムービーというのが流行りすぎて敬遠してしまっていたのだが、これは、ドンパチやってるのをみせる筋肉系映画ではなく、地下鉄を乗っ取って身代金をせしめようとする犯人と追う側の駆け引きをダレずに興味深くみせ、また双方のグループ内の会話なども活かしながらの現場の人間のドラマを楽しめる群像劇的展開。乗客を丁寧に描いているところもいい。
犯人たちのイギリス風の服装がまず面白い。有名らしいラストシーンのうまさ、インパクト。70年代のNYの風景、ざらついた画面。ほんとに楽しかった。乗客の中で大変な状況になった時ヨガの瞑想をする人などもとてもあの時代ぽい。
「レザボア・ドッグス」*1で犯人たちが色の名前でお互いを呼び合っているの、どうもこの映画が元ネタのよう。
「古畑任三郎」の地下鉄が舞台の回も思い出す。路線図や指示官の様子など。
この映画、このあと二度リメイクされていて、最近のバージョンの評判が良いらしいが、この映画のおすすめ主ふや町映画タウンの大森氏によると、このバージョンの方が犯人が沈着冷静で話し合いが互角な感じで良いという風にもきいた。
二本目は「コックと泥棒 その妻と愛人」
入り組んだタイトルで観るまで時間がかかっていた。
三谷幸喜氏の「龍馬の妻とその夫と愛人」のタイトルのつけかたはこちらから?
冒頭誰かが暴力的にボコボコにされているシーンから始まり、タイトルからの推測で浮気がわかってぶちのめされているのかと思いきや、ここではまだ愛人がらみの話でなく、このぶちのめしている人物が泥棒で、この後もだれかれ構わず暴言を吐き続ける。演じているマイケル・ガンボンがもともと舞台俳優であることから、それが箴言のように強大なるパワーをもって響き、服装もあいまって舞台であるレストランに飾ってあるネーデルランドバロックの絵画「聖ゲオルギウス射手組合の士官たちの会食」*2の世界そのままである。アホなのか、まっすぐなのかそんなパワハラを意に介さないティム・ロス演じる子分は本物の道化という感じの役回り。ティム・ロスの人をくったような表情みるのが楽しい。
レストランのよい顧客である泥棒に毅然と対峙するシェフ。清冽な仕事人である。「フランスの友だち」で、ドイツの脱走兵をたくみに誇り高く演じていたリシャール・ボーランジェ。
グリーナーウェイ監督の作品、数学的統一感を「ZOO」でも感じたが、この作品でも泥棒が怒鳴り散らす店内を赤、妻と愛人がそこから逃れる天国のような場所洗面所は白、コックの生産の場は緑とはっきりわかる色彩分けへのこだわりがある。出てくる登場人物もその立場の象徴という感じがし、エグいシーンも神話的な気持ちで飲み込める。随所こめられた皮肉な笑いはイギリスの監督だなあという気持ちになる
近年では「クィーン」でのエリザベス女王のイメージを持っているヘレン・ミレンが大胆かつ官能的な妻。ゴルチェデザインの下着も数学的な美と相性がいい。
「ZOO」でも表現されていた生命と死の隣接したイメージがこの映画でも小難しくなく表現され、80年代後半の豊穣を浴びるだけ浴びて気持ちの良い時間。
三本目は「十二人の怒れる男」。
大人になってからははじめてちゃんと観た。三谷幸喜脚本の「十二人の優しい日本人」を観るたび本家をちゃんと観たいと思っていたのだが、「サブウェイ・パニック」の犯人の一人、Mr.Greenを演じていたマーティン・バルサムが陪審員1号ということでいよいよちゃんと観るきっかけになった。
「十二人の優しい日本人」で、ラスト陪審員の一人相島一之が自分の弱点をさらけ出される形になり、少し酷な扱いを受けているようにも感じるのだけど、こちらに出てくる相島氏のような立場の人間は「優しい~」のように言葉で説得されてしまうのでなく、映像で彼の心の中の動きがわかるようにしてあってそちらの方が良いように思った。ただ、三谷幸喜氏と和田誠氏が映画について語り合っている本「それはまた別の話」では「怒れる~」の方のあのあたりの説明が少し急転直下すぎるともされていて、三谷氏の代案もなかなか良いものだった。
「優しい~」との対比になるが、「優しい~」で相島氏が演じていた役は最初「怒れる」における主人公ヘンリー・フォンダの立場で途中からフォンダの敵役みたいになるところが改めて面白い設定だと思う。
「怒れる~」の方に戻ると、私がぐっときたのはこれくらいの根拠で人を裁くことがまかり通っていいのだろうか、と自分の問題として陪審員が考え直し、テキトーな人を糺すシーン。民主主義って本来こういう風に運用しなければいけないのだよな、と選挙weekだけに強く強く思った。