ジュリーの世界

 

70年代後半から80年代前半にかけて京都で学生時代を過ごした著者が当時の京都を四条河原町付近の有名なホームレス「河原町のジュリー」をキーに描いたもの。著者のあとがきによると、はじめ、「河原町のジュリー」について多くの証言を積み重ねてそれを小説に反映させようとしたようだが、*1途中で考えが変わり自分自身の心の眼を通してみたジュリーと当時の京都を描こうとしたという。

自分も経験しているその当時そこにどんなお店があって、どんな事があって、という描写がなかなか緻密で読んでいてとてもわくわくする。今、すっかりどこにでもある大規模店だらけになってしまった京都の繁華街の個性的だった時代が甦る。こういう喜びは、「大阪」の対談*2の中で柴崎友香さんが語っておられることと重なる。

参考文献になっているプレイガイドジャーナル社の「京都青春街図」、古書店による紹介を読んでいるだけで心拍数が高くなる。同志社大学近くにあった文化発信喫茶「ほんやら洞」のような空気が充満。

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ラスト近くにも「ほんやら洞」の店主でカメラマンの甲斐扶佐義さんがされていたような、街角に写真を貼りだす展覧会の描写もあるし、甲斐さんの経営している「八文字屋」がモデルと思うような店も出てきて、「ほんやら洞」になじみのあったものにはとても近しい気持ち。

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かといって、「ほんやら洞」的空気一辺倒の本ではなく、70年代若者文化どっぷりというわけでない交番勤務の男性を語り手に選び、詳細にあの当時の街の隅々が当時のヒット曲も交えて描かれるこの体裁、楽しめる人の幅を広げていると思われる。サブキャラクターの男性による伏見桃山キャッスルランドのサザンのコンサートの話なども当時のラジオをきいているようなタイムカプセル感で興奮。この小説に出てくる事柄、どこまでが史実なのか調べ切れてはいないのだが空気感は同時代を生きていた自分に全く違和感なし。みうらじゅん氏の青春ものとも重なる時代感ともいえるかな?

五輪などのビッグプロジェクトに伴う街の平板化の問題にも京都ならではの京都国体という切り口で語られている。京都国体がそんな種類のイベントであったとはつゆ知らなかったが、妙にイケてないキャラクターが街中にあふれ、気が付けば四条通の地下街のホームレスの人たちがおられなくなっていたり・・というような事実は確かにあるな。

三条四条界隈と切っても切れない縁の映画館とオールドムービーを絡ませてあるところも自分には嬉しかった。

*1:ちょっと「ヨコハマメリー」のような感じだろうか?

*2:大阪 - 日常整理日誌