新聞記事から

  • 「共倒れ」社会を超えて

2015年10月16日の京都新聞文化面に広瀬一隆氏という方が署名記事で紹介されている。

滋賀県で障害のある娘2人と父親が無理心中した事件について

「生活が困窮し、父親が娘2人の将来を悲観した」という一見、個人的事情とみえる背景には、社会制度の問題を家族の問題にすり替える「犠牲」の構造が潜むと見抜く。障害者とその家族に負担を強い、「共倒れ」を助長する社会に警鐘を鳴らした。

障害のある子どもはかわいそうだから出生前診断するという主張には、「障害者をかわいそうな存在にしてしまうこの社会は何か」と反論

多数派の常識が多様な生の価値を奪っている、と指摘する(著者の)野崎さんは「誰かを犠牲にすれば、自分もいつか排除されるかもしれない。障害者問題は、誰にも関わると感じてほしい」と話す。

確かに、脳出血後、障害者になった母をどこかに連れて行こうとしたりする時、野崎さんのいうところの「最大多数の幸福追求のため、少数者の犠牲を正当化する『功利主義』」みたいなものは肌で感じることは多いな・・認知症の人が徘徊した挙句、鉄道事故が起こった時の家族への多額の賠償責任問題とかもほんとおかしいなと思ったのだけどそういうことでは?

asahi comにも書評あり。

  • 西谷修氏の「論考2015 日本はブラック国家へ 『1億総活躍』の虚妄」

やはりこれも2015年10月16日付京都新聞文化面に
ひとり親家庭の貧困や福島の問題などを挙げ、国の力や法人の力より民の力をつけねばならないという考えは、今日読んだ「雪花の虎」の民が疲弊してしまったら仕方がないという話とも重なる。