「津軽」をたどって・・・

ココログでGWに行った青森の日記を書いていたけれど、黒石でストップ*1して、そのあと行った太宰治関連の土地について、まとめときたいなと思いながらどんどん日にちがたってしまった。そんな折も折、本日、現代の太宰治といわれている又吉直樹が太宰悲願の芥川賞を受賞したニュース。金木の太宰治の生家斜陽館に隣接した物産館マディーニでも、又吉の特集なんかもしていたし、斜陽館のすぐそばの「太宰治疎開の家」のブログでも又吉氏来訪のよい感じの記事が載っていた。きっと津軽でも喜んでいる人多いだろうなあ・・ということで、本日「津軽」巡りをした日のことをまとめておく。

まずは生家 斜陽館

今読み始めている猪瀬直樹による太宰治の評伝「ピカレスク」でも、

六百坪の敷地にあたりを睥睨する赤い屋根の大邸宅が建造された明治四十年までに父親源右衛門は青森県高額納税者番付の第四位にまで躍進していた。金木町では殿さまである。刑務所のような背の高い四メートルの煉瓦の塀に囲まれた大邸宅には十九もの部屋があった。中心に十五畳間が四部屋ありぶち抜けばいつでも大宴会場にできた。二階の妖魔には大きなソファ、そしてシャンデリアが輝いていた。

と書かれているように、私はまず塀に驚いてしまった。猪瀬氏のように、刑務所とまではいわないけれど、日本の住宅ではない、なにか広場のようなものを連想した。きくところによると、百姓一揆をおそれて、せめてこられないためにこのような塀が設けられたとか、また警察の機関も近くに建てられたとか・・周りの小作人との格差が太宰の悩みの原点であり、そのような環境に育ったことがよりどころでもあり、ということが肌で感じられた。

津軽*2にも出てくる金屏風の間。みながここに集まっているということで、上にあがろうかどうしようか迷ったりする描写もよかった。

新潮文庫の「津軽」にとても丁寧な注釈をつけておられる渡部芳紀さんのページでも斜陽館の説明が丁寧にされている。
また上でも言及した斜陽館の隣の物産館マディーニ、ここで太宰にまつわる本なども売られていたのだけど(太宰生誕祭にちなんだブックミアというイベントだったっぽい)、これにもおもしろい寸評がつけられていたりして楽しかった。太宰の妻 美知子さんの「回想の太宰治」なども、ほかにはない客観的な視点がおもしろいだとか、10年も一緒にいた美知子さんだからこそ書けた、などということが書かれていてとても心惹かれた。

その次に行ったのが、太宰治疎開の家

もともと斜陽館にくっついていた太宰のお兄さん夫妻のための離れを曳き家移築したもので、

新婚のお兄さんたち用ということで、家具にハートのデザインなども・・そしてこの上に飾ってある写真は多分10代の太宰治がこの家具の前で撮った写真が。「恵まれた環境で、もう悩み始めていたんですね・・」と解説。こちらの解説は太宰をしっかりと味わっておられる方が自分の言葉でそれを伝えて下さるとてもよいものだった。なにか愛嬌もあって。
おみやげのコーナーで、ほかのお客さんに「みていただきたいのはこの明るい笑顔の写真。太宰といえば有名なあごに手をのせた写真のあの表情がありますが、あれは自分でもイメージづくりをしていたもので、こんな笑顔の時もあるんですよね。」と説明されてた声がきこえてきた。(ほかの方への説明でどんな写真かみられなかったのだけど・・)

「故郷」*3に出てきたお母さんが床につかれていた部屋。解説して下さった方の手ににぎられていた「故郷」の収録されている「走れメロス」の本はずいぶんと読み込まれていた。

ここでは、朗読会、展覧会だとか気持ちのこもったイベントをよくされているよう。太宰作品の一節も貼られていたり、随所から愛情が感じられるよい場所だった。

その次に行ったのは
小泊の小説「津軽」の像記念館
津軽」の最後、子守りのタケさんを訪ねていった、すてきなリズムで描かれていたあの場所。タケさんが太宰について語っている映像なども残っていて、「修ちゃ」と呼ばれていたころの太宰をほんとに身近に感じた。

その日は「津軽」に出てきた竜飛岬まで車で行き、御厨なども車から味わう。なんか軟弱みたいにいわれている太宰だけど、なかなかどうして「津軽」を読んでいると大変なみちのりをただ耐えて歩いたりして、健脚だし、根性もあるのでは・・と思ったりもした。(あの時代はそれが普通なのだとも家族にいわれたりもしたのだけど・・)

竜飛漁港の夕暮れ。北欧や英国の映画に出てくる曇天と相通じる「乾いた北のくもり空」を感じた。