淀川長治のシネマトーク

淀川さん、「日曜映画劇場」の柔らかい語り口から印象で映画を語っておられる方かと思い込んでしまっている部分があったが、スタッフがどういうものに携わってきて、だからこの映画はこういう良さがある、とか「こういう線を狙って成功しているけれど僕は嫌い」とか具体的な知識の積み上げもすごいし、また鋭い感性も今更ながら実感した本。

みたくなった映画
NYを落ち着いてみつめている「サイドウォークストーリー」。
ヴィンセント・ギャロが出ている間抜けな風合いの「パルーカヴィル」。
舞台劇が映画になったウィル・スミスが演じるコン・ゲームっぽい「私に近い6人の他人」。
「ハリーとトント」のポール・マザースキー監督の「敵、ある愛の物語」。タイトルから想像つかなかったが、コニーアイランドが舞台の良質コメディらしい。この意外さがほんとはかっこいいんだな。アンジェリカ・ヒューストンの写真がいい感じ)。
マーロン・ブランドの「ドン・サバティーニ」、なんとなくよくある企画もの、みたいに思っていたけれど、原題が「ザ・フレッシュマン」ということで、マシュー・ブロディックが「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドを神様のように思っているNY大学の映画学校1年生ということでなんか魅力感じた。
ジャン・ロシュフォール演じる冷静な殺し屋が愛に目覚めるしゃれたユーモアがあるという「めぐり逢ったが運のつき」。

感心したフレーズ
アルモドヴァルを評して、

教育ではなく、持って生まれたインテリ性の人

深沢七郎氏にたとえておられるが、私は現代でいえば西村賢太氏にそういうものを感じる。

プレタポルテ」のところで

おしゃれだけど皮肉、皮肉だけどおしゃれ。おしゃれだけど、実はこんなおしゃれはダメよ、というような皮肉も持った映画

との言葉。そうでないおしゃれだけの映画と頭の中で対比する。

プリシラ」でのテレンス・スタンプについて、

僕、思ったの。ロバート・テーラー以外はどんな人でも女になれるということがわかったね。もうエディ・キャンターであろうがエノケンであろうが、名優は女形がやれるんだね。

という言葉。エノケン以外の人を知らないのが残念だが、エノケンのたとえでおかしくなったし、わたしはテレンス・スタンプだからこそ!の役だと思っていたのだけどこの感想新鮮だった。
オリヴァー・ストーンのことを

いまのアメリカの不幸はベトナムから来ている、と言っている。それ正論なのね。だけれども、何のひねりもない言い方をしてしまう彼の貧しさもまたアメリカの不幸

というようなすばらしいおっしゃりよう!

シェルタリング・スカイ」の項など、筋だけ追うと、なんだか納得のいかないものになりそうなんだけど、淀川さんの解説にうたれる。

表現にうならされたところに付箋をつけて読んでいたら付箋だらけに・・最後には映画題名、監督名、俳優名での索引が。聞き書きされた三宅菊子さんのあとがきや、途中はさまれた淀川さんの素敵な笑顔の写真やら、愛情と手間をしっかりかけて作られた本だなと思う。

最終章、「映画天使の最終講義。」の巻頭に書かれた

映画を売名で作ったり、金儲けのためだけに作る人は、いつか何かで大損すればいいのにな、と、僕、思っているの。

なんて言い回しのチャーミングなこと。


淀川長治のシネマトーク

淀川長治のシネマトーク