実相寺昭雄監督とキャスリーン・バトル

ふや町映画タウンに実相寺昭雄監督の「キャスリーン・バトル/リリック・ソプラノ(1987)」と「ディーバ/キャスリーン・バトルの歌声」という二本のビデオがあったので借りてみた。


実相寺監督っぽい奇抜な演出などはなく、音楽ビデオらしくきちっと撮られたものであった。前者のビデオ(5/25人見記念講堂のライブとのこと)にはさまれた解説の実相寺監督の言葉によると、監督は70本ほどの音楽中継を手掛けてこられていたが、オーケストラや室内楽を撮る時のような目先の変化がなく、演出泣かせであったとのこと。「ソニーの酒井さんに乗せられて」というような言葉が載っていたけれど、酒井正利プロデューサーのことかな。大ヒットして彼女を一般に知らしめたニッカのCMも実相寺監督の作品だったらしい。

 

youtu.be

 

検索していたら、こんな投稿をみつけた。

そうだったのか・・

絵本で子守

お正月は3歳の女児と1歳の男児が家にやってきて。お相手の下手な私は絵本を専ら読んでやることにしている。

今回読んだのは

「とこちゃんはどこ」

70年に出版。「ウォーリーを探せ」よりずっと前に群衆に紛れてしまう人物を探す絵本が出ていたんだ!絵はかこさとしさん。

紛らわしい人物も描かれていてみつけるのは結構難易度高い。3歳の子は偽物に引っかかっていた。(私も)。1歳にはみつけるのムリな感じだなあ。とはいえ、まだしゃべらんとか思って油断してたら話し言葉の中に混ざっている「こんにちは」という言葉に反応してお辞儀したりして侮れん。もうすぐか?

絵本に戻ると、とこちゃんなる主人公はお祭りだとか動物園だとか人が大勢いるところですぐふらーっとどっかにいってしまい。。探すたのしみとともに、ご両親のご苦労も一緒に描かれ笑いかつ共感。

もう一冊は

「ともだちのいろ」

きくちちきさんの若々しくおしゃれな絵が魅力の絵本。

 

みんなにいい顔しちゃう黒いワンちゃんが「結局なにがいちばん?」と問い詰められ。。

八方美人?的性格の自分には他人事とは思えぬ展開

 

カエルやトカゲ、とり、ちょうちょの「色」がキーになる物語。短い文章で3歳の女の子も一緒に色を挙げて楽しめた。

 

上の子が2歳5ヶ月のときに大いにウケたのは

「こぐまちゃん いたいいたい」

おうちの中のキケンに曝され続けるこぐまちゃん。主人公ピンチの本って読むものの心をつかむ。

何度も何度も読むのをせがまれた。そしてこぐまちゃんのおかげで階段は気をつけて下りるようになった。

今回は同じシリーズの

しろくまちゃんのほっとけーき」

を、ぬいぐるみに読んであげていた。何度も飽きずに。字読めないけど語り部みたいに。

その再話をきいていてこのシーンが好きで印象に残ってるんだなとか感じ取れて面白い。たまごを落とすシーンとか心に残ってたらしい。

1歳の子もはっきりした色にひきつけられ割合注目している。さすがベストセラー!

 

リオ・グランデの砦

 

政治ドラマや戦闘ものみたいなストーリーに家庭や異性を絡ませてあるとなんかごまかされたようなつまらない気分になりがちの自分だが、これは家庭の絡ませ方が秀逸で何よりそこを味わう作品だった。

個人的には納得のいかないミッションにも耐え、くたびれながらも任務を遂行し続けるジョン・ウェイン陸軍士官学校を数学の点数でドロップアウト、エリートコースからの挫折を体験した息子は兵士を志願し、望んだわけではないが彼の駐留地への配属となる。なんと双方にとってやりにくいこと!

まずは部下たちの特別扱いが息子を居づらくする。わだかまりの解決はよくある雨降って地固まる方式だけどその“雨”の後始末をすることになる現場の朴訥で旧式の曹長がいい。演じるはヴィクター・マクラグレン。新兵たちにも古臭いやり方でイニシエーションを授けるはずが逆に侮られたり。かっこ悪い事態の受け止めに愛嬌があり、人情味も。立派過ぎるジョン・ウェインよりまず注目した。

モーリン・オハラ演じるジョン・ウェインの別居中の妻は豊かな家の出身で世間知に長けた人物なんだが、息子のヤケともいえる選択を裏から手を回し阻止しに来る。なんとも嫌な感じと自分は受け取ったが、私自身も現実生活でこの人がと思うような人が子どものためなら平気であらゆる手を使うという場面に遭遇したりもしていて、ここもリアル。

厭な妻だなあなんて思いながらみていたらそれにはそれなりの理由があり(彼女は南部の大農園出身、ヤンキーのやり方の犠牲者)、なんかこの辺も現代日本でも通じるところを感じた。そしてわざとらしくない帰着点を迎える。

モーリン・オハラの気品、迫力は凄かった。調べると「ノートルダムの傴僂男*1で魅力的な牽引役エスメラルダを演じた人なんだ。

終盤はインディアンによる襲撃シーン*2だが、そこには納得のいかない規範への心憎い挑戦が描かれていてこのスタイルが心地よい。私はジョン・フォードの映画を観ていてそういう跳躍をたびたび感じそこが気持ち良いなと思っている。

この作品もふや町映画タウンのおすすめ。(☆☆ けっこうおすすめ!!)

*1:ノートル=ダム・ド・パリ - 日常整理日誌

*2:その描写も厳かでいやなものではなかった。

青春の夢いまいづこ

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wowow でこの作品のリメイクを観て

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久しぶりに再見。

 

今回放送していた新音声版は倍賞千恵子佐野史郎の声があててあった。

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前回観た時の自分の感想*1を読むとモボの描写、挿絵などのモダンさに感心していたのだが、今回家族と一緒に観て家族が気にするものだから公開年度を調べると、その年昭和7年満州事変の翌年で当時はまだこういうのんびりしておしゃれな空気の映画が作られていたことに改めて驚きと焦りを感じ、また、自分などつい戦前の文化というのはきちっとしているものという先入観を持ちがちだけど就職するなり指摘された「学生気分が抜けない」状況の人って戦前にもいるやんという気安さも覚えた。

そしてリメイクの達者さも再認識。小津のオリジナルではのんきな学生仲間だった男二人に経営者と雇われ人という立場の変化から訪れる葛藤を恋愛話を絡ませて表現、経営者になった江川宇礼雄サイドからほぼ描いていたが、リメイクでは渡辺大知演じる雇われ人サイドから描き現代人が観たらより共感しやすい形にしてあったと思う。恋愛がどうとではなくて上から施されてしまう身分の辛さ。それはそれとしてオリジナルのこれもまた「生れてはみたけれど」に続く「大人の見る繪本」風の幕切れも素晴らしかった。

勉強熱心なのに成績のあがらない生徒役(つまり施され側)に斎藤達雄。斎藤さんは滑稽なところはあっても基本は長身で風格みたいなものもありそのギャップをたのしむ役が多い気がしているもので、この終始弱気路線は自分には新鮮。

仲間として出てくる笠智衆も老け役じゃないそれだけで新鮮で凝視してしまう。

大学の仲間の呑気描写はドラマ「いだてん」の三島弥彦たちの天狗倶楽部みたいだった。

トラック野郎爆走一番星

 

75年 鈴木則文監督

これを観たきっかけは「よみがえる新日本紀行」で長崎くんちが映っていたこと

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祖父母が長崎に住んでいたことから興奮とともに語られる「くんち」はずっと気になっていたところへ「よみがえる〜」でくんちの様々な演し物の苦労を知り、長崎舞台の「網走番外地 望郷編」でもそれぞれの住むエリアのプライドをかける大事なくんちを顔役の抗争のあげく邪魔するというシークエンスが描かれていたな、他にはくんちが出てくる映画はないかと検索してたどり着いたのだった。

サザエさん」でもタイトルロールで日本各地を旅行しているようなものが流れていたり*1この映画のライバル「寅さん」シリーズもだけど、この作品にも日本の各地紹介という要素がある。ディスカバー・ジャパン*2の時代?

そうした流れの中でくんちも含め長崎が長く映り二十六聖人のところのショットなどなかなか良かったけど長崎はメインは風景描写。主人公の仕事柄そんなに深く配送先に関われるものでもない。展開的には道すがら出会った長崎からの出稼ぎ労働者織本順吉のストーリーに少し絡ませてある、その程度の関わり方。

マドンナあべ静江津軽出身にしてあり、太宰や川島雄三の言葉がばんばん使われる。

75年のこの映画、ちょいちょい入る下ネタはまさにあの時代そのもの。鶴光!山城新伍研ナオコ相手に文太さんも。こういう空気充満してたな。

一番光っていたのは、田中邦衛が演じるトラック野郎 ボルサリーノ2。愛川欽也演じる文太の相棒やもめのジョナサンの前職警察時代に恨みをもつ男という設定だがとってもかっこいい。

北の国から」や「仁義なき戦い」でのイメージが鮮烈すぎて邦衛さんがおしゃれと教えられてもピンときてなかったが、若大将シリーズの青大将も三枚目なのに派手な服の着こなしがキマっていたし、今回もまさにボルサリーノ風のスーツや身のこなしがほんと目を引く。田中邦衛さん、観る作品を重ねれば重ねるほど真価が身に染みていく。

邦衛さんの素晴らしさはこの映画前半の下ネタオンパレードを帳消しにするくらいの見応え。

*1:こちらのサイトによると、74年かららしい

*2:こちらは70〜76年らしい

霧の中の風景

 

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どの場面を切り取っても絵画のように構図が決まった美しい画面

冬の雰囲気を纏った姉弟の旅。言葉で間を埋めることなくあり方のみでその場にいる誰かそして観客に意味を突きつける。

旅芸人とのひととき、アコーディオンの音のぬくもりは観ている者をもほっとさせるが、自分の旅は自分でやり遂げなければならない。

皆が雪にみとれストップモーションのようになる美しい場面のあとの道に倒れた馬の姿。劇団員たちやその中の若い男が大切にしているものに別れを告げるシーン。出会ったものたちの終わりの迎え方

小さな弟の「かもめさん」という呼びかけ、鳥の身ぶりをする鉄条網の向こうの哲人か詩人のような男。チェーホフの「かもめ」やつげ義春の鳥男を思い出す。

劇団員の男がくれたフィルムの切れ端のように全ては霧の中の風景で、でもその中に立つ自分たちのリアルは続き生きているものはひたすら歩き続けるのみ

旅芸人の記録」もいつかみてみよう。

愛なのに

 

小津リメイク*1の出来をみて、名前だけきいていた城定監督作品を。

恋愛感情と性的な関係は別で、だからといって割り切っているわけではなくとても細やかで・・その時代の普通の感覚を上手に描いていたロメール監督的な感じもあった。

猫のよりつくような居心地のよさそうな古本屋業の瀬戸康史、一見浮世離れし流されているように見受けられるが、意外と自分で考えて自分の意見をちゃんと述べる。その姿に好感。

自分は年齢的なことか、元からの嗜好か古本屋に来る年配の常連客を演じる飯島大介という人に惹かれてしまった。悪魔的でもあり救世主的でもあるウェディングプランナー熊本さん(演じるは向祐里香)の造形も大層面白かったな。結婚寸前に浮気している男(中島歩)の言い訳と表情も。

脚本は今泉力哉氏か・・確かに「愛がなんだ」*2と空気が似ている。旧来の型通りの人間関係じゃないところが。