岸政彦さん

2010年12月の「100分de名著」でフランスの社会学者、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」が取り上げられた。解説者は社会学者の岸政彦さん。

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先日その4回目を見返していて、分断化された社会の中で他者に対して、やたら持ち上げ同化してしまうのでもなく、もちろん見下すでもなく、とりあえず他者の話を聞き、その現状をみつめること、どういう事情があっての今なのか、「入口まで一緒に行こうよ」という考え方、そこからのスタートという話をされているのが印象に残った。岸さん自身が沖縄での聞き取り調査の時に自分の意見を持ちながらも相手の立場も理解するというスタンスでしようとされているし、共著なども出しておられる打越正行さんも「ヤンキーと地元」という著書を特殊な面白いみせものとしてまとめるのでなく、もっと寄り添い相手のバックボーンを聞きとり、そうやって生活してきた中での今という見つめ方をちゃんとした人間関係の中で作っていかれた話をされていた。

 

ヤンキーと地元 (単行本)

ヤンキーと地元 (単行本)

  • 作者:打越 正行
  • 発売日: 2019/03/23
  • メディア: 単行本
 

 

そうであることがその人にとっては当たり前という現状をまず把握するスタンス。きかれた相手も客観性をもって自分をとらえられたことによりみえてくるものがあるという話。たとえとしてイッセー尾形さんの芝居での表現という話も出ていた。確かに、自分もみていて、イッセーさんの芝居の中に出てくる人の滑稽さに身につまされることもあるし、冬にTVでみたイッセーさんがブラジル移民の人の多い団地でブラジル移民と日本人の関りを演じた「わたしたちはガイジンじゃない」でも、それを感じた。たとえばゴミの捨て方の問題のトラブルなどからお互いこういうところあったよね、と笑いながらみつめなおせるようなところ。だからとにかくしっかり相手をみてそこが入口だというような話。

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80年代から90年代のなんでも面白がればいいという風潮なども痛みを伴いながら思い出したりもした。イッセーさんの芝居の時のような、自分もそういうところあるよね、という面白がり方ではなく、珍獣を見つめるような視点。

岸さんの話をきいていて頭に浮かんだのは最近好きになって作品を追っかけているダルデンヌ兄弟の映画。いつも良い悪いじゃなく主人公の置かれた現実をまずみつめ寄り添うところから始まる。「イゴールの約束」*1の不法移民を搾取している親の子どもでやはりその仕事に加担しているイゴールの話、アル中の母親と暮らし施しは受けたくなくどんな手段を使っても仕事を手に入れたい「ロゼッタ*2、先日観た「少年と自転車」でも養護施設で暮らし、父親に会うことを面倒くさがられている少年が優しい里親を裏切って町で自分を受け入れてくれた年嵩のワルに引っ張られてしまうその心情がとてもわかる感じで描かれていた。少年の行動が是ではないけれど、そりゃひきつけられてしまうわなと。少年の犯した罪と赦しと報復、周りの苦しみいうことが不必要なドラマチックな盛り上げとともにではなく、日常と地続きのタッチで描かれ、それぞれの立場が簡潔かつ的確に描かれ単純な善人など存在しない見ごたえのある作品だった。

少年と自転車(字幕版)

少年と自転車(字幕版)

  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: Prime Video
 

 

続けて岸政彦さんと柴崎友香さんの共著「大阪」の話も書こうと思ったけれど長くなるのでそれはまた別に・・(書けたら)

岸さんと沖縄ということで検索していたら出て来た「同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち」

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森崎東版の映画「野良犬」*3を思い出す。