愛しきソナ

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先日観た「ディア・ピョンヤン*1(2005)から6年後、2011年のヤン・ヨンヒ監督作品

「ディア・ピョンヤン」、北朝鮮の暮らしが映し出され、北朝鮮の体制についていけない気持ちはにじんでいたものの、とりたて扇動的とはみえなかったのだが、北朝鮮では問題となり、監督は北朝鮮渡航できなくなったそう。

この作品もベースは家族に置き、次兄の娘ソナを中心に据えつつ、監督が北朝鮮渡航可能だった間は現地撮影で、その後は写真などで親族の様子を中心に綴っている。幼児のソナが久しぶりの親族から構い倒されている時に浮かべる表情はまさに私の孫が浮かべる顔つきにそっくり。中で鑑賞したことはないピョンヤンの劇場で、カメラを止めてといって、叔母である監督が普段観ているものをきいて、話をきくだけで楽しいといってる思春期のソナや大学の英文科に進んだと英語での手紙をくれる彼女、そしてクラシック音楽を愛しベートーベンを弾くその従兄弟の姿からは、統制されたパレードなどからつい思い浮かんでしまう心の中まで統制されてしまっているのだろうかという憶測は見当違いなんだろうなと気付かされる。

今回の作品には日本の北朝鮮拉致被害者の問題を扱うワイドショーを見る朝鮮総連幹部の父の姿も。はじめは北朝鮮側の主張を代弁していた父だったが、娘である監督に詰められ、北朝鮮の主張を繰り返すことはやめる。

自分が信じていた組織体が当初思っていた夢のような場所ではないことがわかりつつも口にすることはできない複雑な思いが、訪朝している彼の姿にも滲む。そのことは北朝鮮に限った話でなく普遍的で、そこにぐっとくる。自分とは関係ない特殊な世界の話で終わらせないところにこの作品のすばらしさを感じる。