出来ごころ

 

リメイク*1をみて15年位ぶりに再見。だけこういう筋だったかと思い続け。

まず最初浪曲の舞台。浪曲は行ったことないけれど父の晩年古典芸能のお供するようになってからクラシック邦画を観てるとほんと当たり前に出てくる古典芸能場面にえらくひきつけられる。

「お半長右衛門」のことを何度も口にして若い女の子に好意を持つ自分を励まそうとしている主人公喜八が微笑ましいし、リメイク版では「競馬新聞しか読んだことがない」と子どもの同級生に侮られるような喜八の素養としての「お半」、「母の曲」のお上品な保護者会で好きな映画だかなんだかで股旅物を挙げて軽蔑される可哀想な母とも重なる。

初回観た時、父と子の物語なのになんで「出来ごころ」?と鈍い私は思っていたがリメイクをみてから再見すると、年甲斐もない想い、そしてええ格好したい挙げ句に父子二人暮らしだというのに子どもの気持ちは結果的に二の次になるような決断をしてしまう喜八のこころのことかーとやっとピンときた。(遅い)

リメイクではラストへのうねりこのままの設定では無理でうまく変えてあった。古い邦画を観てると、子どもの置かれる境遇の厳しさにびっくりするがきっとそれが当たり前の社会だったんだろうな。

オリジナル版のラスト、場面の記憶だけしかなかったがリメイクと続けて観たことで坂本武の奮闘がもっとががっちりとおかしみと感動をもたらせてくれた。

喜八の恋心に引導を渡す食堂のおばさん、この設定はリメイクオリジナル共に一緒だが、渡し方がまるで違う。リメイクは喜八の想いに全く気がついてない体、現代ではこれが自然だろう。オリジナルは何もかもわかった上で飯田蝶子扮するおばさんがお酒を持ってやって来る。これってほんとに難しいミッションだよな。飯田蝶子なんてすてきな大人の女!

突貫小僧が勉強の出来る役で、となっているけど、腕白坊主のイメージ。

リメイク版のほうが後半の子どもに纏わる設定など細やかで城定監督の他作品をとても観たくなっている。