ブラザー・フロム・アナザー・プラネット、希望の街

ジョン・セイルズ監督の作品を二本。

一本目 ふや町映画タウンの【けっこうおすすめ ☆☆】の「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」(1984)

壮大なSFものだったら苦手だな、と思いながらの鑑賞だったが、まるで違った。一応別の星からNYハーレム地域に迷い込んだエイリアンの話だが、その黒人のみなりをしたエイリアンは全くしゃべらなく、ノンバーバルコミュニケーションのみなので、出会った側も、エイリアンとは思っていなく、コミュニティに迷い込んできたちょっと変わった人、として対応していく。迎え撃つ方はそれぞれで、警戒心の強い人、寛容な人、厄介ごとはいやだけど仕方なく関わる人、まあいいかと最初は面倒をみるけれど、状況が変わってきて態度を変えざるを得ない人などなど、グラデーションも豊かでまさに自分の側で起きたことのように楽しみつつ入り込んで観ていける。

黒人に対して保守的な白人はこう思っちゃうよなというところもごく自然に描かれていたり、同じ白人で生活は荒れ気味でももうどっちでも同じでしょみたいな妙なあきらめと寛容さを持ち合わせた対応になる人もあり、何かトラブルになりそうだという気配を漂わせた相手の意外な一面が描かれたり、お役所仕事が皮肉にも良いように展開したり、あらゆる決めつけから自由な展開をし、そして、いかにもNYという感じで観ていてとても気持ちが良い。エンターテイメント性をしっかり保ちながら、自分ならどうする?ということも考えさせるとても爽快な作品だった。

 

で、続けて観たのは「希望の街」(1991)。

eiga.com

 

ビデオジャケットの解説の言葉を借りると「30人を超える登場人物たちの織り成す群像劇が政治的腐敗や人権問題など現代アメリカが抱える”街”の姿を浮かび上がらせる。」というわけで、はじめ登場人物が多すぎて何が起きているのかわからなかったが、だんだんに焦点がビンセント・スパーノという俳優の演じるイタリア系青年ニックに絞られるようになると輪郭がみえてくる。観客がこの街に迷い込んだような形で街のことを知っていくこの形式もあとから考えると魅力的かも。最初はとりあえずわからないまま話に巻き込まれていくクドカン形式?

黒人と一口にいっても政治家、運動家、町の不良それぞれで、よく考えれば当たり前のことなんだけど、「黒人として」「黒人を守って」、自分の意に反する行動をとらなきゃならないのか、という問題に意識の高い黒人政治家がぶち当たったり、また白人社会の中でも、仕事を円滑に進めること、社会的に取り繕っていくことと自分の中の正義の葛藤など、普遍的ともいえる問題が描かれ、登場人物に同調しながら物語を追っていける。そして、決着点がきれいごとぽくなくて楽しめた。