1920年代のNY。フィッツジェラルドのいうところの「ジャズエイジ」の世代の人々。フラッパーや断髪とアールデコ調のファッション。ミセス・パーカーを演じたジェニファー・ジェイソン・リーの服装が、精神的に落ち込んで最低の状態でもいつも美しく、色合いなども美しく、映画の夢をみさせてくれる。
ファッションとしては、吉野朔美さんのこの作品↓を思い出した。ちゃんと読んではいないのだけど、連載当時時々みていて。
こちら↓のサイトでは、
「華やかさの陰に暗さを抱えていた時代」
と書かれているが、まさにこの物語の主人公ミセス・パーカーは、そういうものを抱えていたし、この映画の本質は、華やかな時代にあっての魂の彷徨の物語ということだと思う。
この時代のことを調べていたら↓のような本の紹介も出てきたのだが、
まさにこの、差別の問題への視点というのは派手な生活を送っていたミセス・パーカーがたどり着いたともいえる着地点ではっとさせられた。(さらに、「フランスに舞台を移したジャズエイジ」ということから、ウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」*1ともつながる。)
ジャズエイジの人たちをみていると、80年代に20代を迎えた自分にはとても近しく感じられる。フラッパーヘアも、ジャズエイジを意識したようなファッションも流行ったし、そのあとの不況や暗い時代を超え、80年代の論客たちが今、軽佻浮薄だけではダメだと政治にコミットしたりする姿とも重なる。(私自身、80年代の軽薄短小時代を享受し、50代になった今、80年代的に面白がっているだけの罪というものを痛感している。)
ユニークではあるが、頑固な年寄りのようにもうつり、わかる人にしかわからないという境地の晩年のミセス・パーカー、地味にはなったが、言行一致というか、フラッパーを決め込んでいる時の苦悩からは解放されているようにもみえた。
ジャズエイジというと華やかさをまず思い浮かべがちだったが、むしろその中での苦悩、それがミセス・パーカーを演じるジェニファー・ジェイソン・リーの繊細な演技からうかがえ、あまり期待しないで観たのに、とても心に残る作品となった。
そうそうミセス・パーカーたち論客が楽しくやっていたというアルゴンキンホテルの円卓、「アルゴンキン・ラウンド・テーブル」が出てくるのだけど、こちらもウディ・アレンの映画に出てきていそうな談論風発な世界。その場面では、ウディ・アレン映画でお見掛けするウォーレス・ショーンがアルゴンキンホテルの従業員役をつとめ、狭いところで集う連中をどうにかしようとラウンドテーブルを用意する設定になっていた。