国立文楽劇場 11月文楽公演

第1部 午前11時開演
蘆屋道満大内鑑 (あしやどうまんおおうちかがみ)
  葛の葉子別れの段
  信田森二人奴の段

桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)
  六角堂の段
  帯屋の段
  道行朧の桂川


第2部 午後4時開演 
鶊山姫捨松 (ひばりやまひめすてのまつ)
  中将姫雪責の段
  
近松門左衛門=作
女殺油地獄 (おんなころしあぶらのじごく)
  徳庵堤の段
  河内屋内の段
  豊島屋油店の段

蘆屋道満大内鑑」、パンフレットによると、演じられた二つの段の間のあらすじとして、

信田へ向かう三人は、途中で蘆屋道満に出会います。道満は、本来保名が継ぐべきであった「金烏玉兎集」を返しに来たのです。保名はこの書を童子に譲ります。子供の並外れた知能に驚いた道満は、童子に晴明という名を与えるのでした。保名は道満が乗ってきた駕籠に葛の葉姫と童子を残し、信田の森へと向かいます。

 

と書いてあり、漫画「陰陽師」などで、ライバルとしてしか認識していなかったので不思議に思ったところ、鑑賞ガイドに、蘆屋道満の意外な人物像を描くことが作者武田出雲の主眼だったと書かれていた。(でも子別れのところばかり多く上演されるとのこと)

 

「狐詞」と呼ばれる特殊な語り口で葛の葉が人間ならざる存在であることが表現されているとのことだけど、この「狐詞」、「義経千本櫻」の狐忠信のはなしかたにも似て、本当にキツネ風でおもしろい。「二人奴」の段の奴与勘平、奴野干平(狐が奴与勘平に化けているもの)とのやりとりも、それがまた善意から化けているということもあいまってとても楽しめた。

桂川連理柵 」は、パンフレットにあったくまざわあかねさんという落語作家の方の文章に

 

実際のお半・長右衛門は心中ではなく他殺であった、と『芝居ばなし 鳶魚江戸文庫25』(中公文庫)に江戸学の祖・三田村鳶魚が書いています。鳶魚氏いわく、滝沢馬琴『異聞雑稿』の中に

「お半が大阪へ奉公にいくことになったが迎えがこないので、たまたま京都に来ていた知人の大阪商人・長右衛門が同伴して大阪へと連れて行くことになった。桂川から船に乗ったところ、偽物の船頭が路用の金を奪い、二人の褄を結び付けて川に投げ込み、情死に偽装した」

との説が挙げられている7のだとか。すぐに犯人が捕まらなかったことから、世間的にも長らく心中事件とみなされていたそうです。

 

って、本当に驚きでしかないし、くまざわさんも書かれていたが、本物の長右衛門さんこんな風に描かれていると知ったら心中やいかに・・と思ってしまった。

 

鶊山姫捨松 「中将姫雪責の段」は、もちろんここからの展開のためとはいえ、ここだけみるとなかなかしんどく、陰惨系の話が苦手な父は顔をしかめていた。でもここでのこれを求める観客の気持ちに応えてこういうものがずっと演じられているのだよな、そうでなかったら手ぬるいという感じに見えてしまうのだろうなと思った。

 

文楽や映画でみるたび少しずつ印象の違う「女殺油地獄」、今回はかなりモダンな、コーエン兄弟の「ファーゴ」のような印象を受けた。タイミングというものの持つ恐るべき力のようなもの。近松門左衛門のことばのおもしろみも凄く感じた。

 

今回、一回の資料室で企画展示されていた「文楽人形 衣裳の美」がとてもよかった。

www.ntj.jac.go.jp

「平家女護島」の千鳥の衣裳のグリーン字に磯のものがあしらわれているもののかわいらしいこと!(リンク先のパンフレットの写真参照)さらに堂本印象のデザインでの「四季の曲」の衣裳図案の美しいこと。娘役の人形の後ろの襟袈裟の凝っていること。(文五郎さんの名前がデザイン化されたものが展示されていて吉田和生旧蔵とある。)

今回もここで娘袈裟というもののことをはじめて知り、舞台でも注意してみることができた。

さらに、文楽人形のものではないけれど、小山拡賜という方の旧蔵という、櫛や簪などの工芸品の美しいこと。筥迫の刺繍のかわいらしさもあるすばらしさにみとれた。