閉経記

yukkekoさんが日記に書いておられ興味を持ち読んだ。ちょっと居間に置いておくのをはばかるようなタイトルと表紙!もともとは婦人公論に連載していた「漢である(漢にルビでおんな、とふってある)」であったそうだ。本にする時検索しにくいということで今のタイトルになったようだけど、伊藤さんらしい思いきりだなあ。伊藤さんの本、「良いおっぱい 悪いおっぱい」「おなか ほっぺ おしり」「伊藤ふきげん製作所」*1など読み、特に前者二つの基本ものぐさで行こうという育児方法にはとても影響を受け、なんとかかんとか子供を成人にこぎつけることができた。育児している当時、テレビ取材を受けている伊藤さんは緊張しておられるのかちょっと愛想とかなさそうでとっつきにくそうにもみえたのだけど(多分とても正直な人なのだと思う。)、この本を読んでまろやかに円熟しておられること、そして最初のタイトルにこめられた、「俗におばさんと呼ばれるわれわれの持っている正義心、行動力、そして人生に対する覚悟と矜持」(あとがきから)そしてとんがっていくのではなく融和していこうという感じがとてもして深い共感をおぼえるまさに同年代としてかゆいところに手が届く感じの気持ちの良い本だった。
伊藤さんは年を経て「良いおっぱい 悪いおっぱい」「おなか ほっぺ おしり」にも手を加え完全版を出されたようだ。こういうところも良いなあと思う。

いろいろと頷きながら読んだけれど特に「そうそう!」と思ったのは、某女子大の同窓会に呼ばれての講演会で、セレブな漢(おんな)たちの集会だと聞いていつもより数段気を遣って自分の持っているものの中でいちばん高価なシャツとパンツを用意して着がえていた時、親友のE元(多分枝元なほみさん)のいった、そんな中途半端なのやめとけ、その人たちはある意味「こわいもの見たさ」であんたを呼ぶのだからあんたはあんたのままで普段着ている服でいけという言葉。励まされる感じがした。
それとおもしろかったのは、数独の好きな人の、間違いを消しながら慎重に進みながら行く人生という表現。思い当った!
あととても好きだったのは日系高齢者のためのデイケアセンターにボランティアにいって詩の朗読を一緒にしたり、高齢者に「昔わたしは」という出だしで詩を書きましょう、ということをされたくだり。詩の力やクサい意味でなくとなりにいる人と手を携えることの心地の良さみたいなものをとても感じた。なんか、いろいろあるけれどなぜか大団円という感じがとても好きなフェリーニの「8 1/2」のラストみたいな充足感。

閉経記

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