細雪 (市川崑 83)

 

市川崑バージョン「細雪」を40年ぶりに鑑賞。当時から着物の美しさを褒める声を時々きいていたが、提供の三松って街でやたらみかけるお店だよなと聞き流していた。。が、今見ると着物、美しいと思う。

市川崑らしい禍々しさが画面に込めてあったりして久しぶりにみるとこれはこれでの面白さを感じる。コントラストつけすぎでしょ、とか言いながらの鑑賞が楽しい。原作を読んだばかりの夫によると、原作はあたかも京都的な持って回った物言いが売りで*1、この市川版の直接的な言葉の応酬の対決は原作とは随分違うなとのこと。

80年代に観た時も、石坂浩二演じる次女の夫貞之助の、三女への想いに「?」となったが今回も際立っていた。三女以外の女性にもなんで?という描写もあり。雪子が大人しく見えて着替えを男性に見られるの平気、みたいな、なんかちょっと全体的に食えない感じと結びつけてあるのは面白かった。それこそ当てこすり表現ぽくて。

三宅邦子の名前を冒頭にみて楽しみにしていたが旧弊な叔母さん役だった。登場シーンの、時代を体現したような空気は素晴らしかった。

四女役古手川祐子すごく魅力的。ラスト近く、工場地帯での彼女の服装と町の色合いが思わぬ美しさ。

あと、仙道敦子が三女の見合い相手の娘役として楚々とした女学生姿。新鮮。14歳くらいだったよう。

白石加代子がさらりと酒場のお内儀役で出てきて、贅沢な使いようというか、この時代はこんな感じなのか、とか色々思った。

*1:船場はそういう文化とか?

サラバ!(audible)

オーディブル西加奈子直木賞受賞作「サラバ!」を。

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全3巻だけどイラン、エジプト、日本と場所を変え紡がれる家族の物語は魅力があり描写力に優れ一気に聴かせる。男前に生まれつき、個性の強い姉や母の陰で大人しく生きる主人公は松坂桃李の声にぴったり。

主人公の語り口を聴いていると特に後半物語がいよいよの坂道を下る時太宰治の作品に通じるものを感じた。まさにまさに自意識過剰からの物語。どういう風に振る舞うのが正解?と年中惑っている自分に力を与えてくれた。

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 

普段旧い映画中心に鑑賞しているが現代に作られたものも気持ちにさっと寄り添ってくれて良いなあ。

大学のぬいぐるみ好きのサークル「ぬいサー」。京都の大学に入学したばかりの新入生として主人公たちが訪れた時は作る方というより、人がぬいぐるみに話しかけるのがメインの、わかりやすさを求める外部の人に説明するのが難しいようなサークル。最初は、なんだか凄いな、と思っていた主人公たちもそこに落ち着き。。ちょっとほんとに心配になっちゃうような部員もいたけれど、自分の問題を解決する手段と割り切っていて外の社会に繋がるのが困難ではなさそうな部員もいる。冒頭から主人公はごくニュートラルで寄り添える。

ぬいぐるみとしゃべる人は人に打ち明け話をして、聞かされた相手が背負い込むのを申し訳なく思う優しさから?(時間的にはそうだろうな)、話しても理解してもらえないのが虚しいし傷つくから?(自分はこっちだなあ)。

傷つきやすくて他人の痛みが自分の痛みになりきってしまう優しい登場人物。そこまでなりきれない自分の不純を責められているような気持ちにさえなる。大学という特別の時間らしさもあり胸が詰まる。

一人ぬいぐるみに話しかけない、さめた感じの、でも敵対しているわけではない語り手を配置しているのがうまいし、自分にとっても救いになる。優しすぎる主人公たちが心配になりそこまで至れない自分を責めそうになるから。

細雪(大映59,新東宝50)

大映版(1959)と新東宝版(1950)の「細雪」を原作を再読したばかりの家族と再見

東宝の方が良かった印象なので大映版から

 

大映版、山本富士子演じる三女の雪子がとてもいい感じに描かれていて、原作とイメージが違う。山本富士子を良くみせるための映画だなあ。芦屋の川沿いの風景などは良く生かされていた。去年の夏谷崎潤一郎記念館主催のイベント*1に行くため歩いた時のながめを思い出す。

妹たちから居心地良いと思われている次女の家庭。夫の山茶花究好演。山茶花究って嫌みな役を巧みに演じているところをよく拝見するがここでは実利にも長けているが相手の話も受け入れる人物としての頃合いがうまい。こういう人いるなぁって感じ。

大阪の中心部にある実家がビルに建て変わるシーンなど作られた50年代後半の物語になっているのかなとも少し思った。が→*2

 

東宝

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こちらはくっきりと戦前の物語として始まる。これは四女を演じた高峰秀子の映画だ。何度観ても魅力的。冒頭の次女が演奏会だかに行く帯を次女、三女、四女があれこれいいながら選ぶシーンでもうそれぞれの性格が巧みに表現されている。じーっと観察していて後から問題点をいう慎み深いとも人が悪いともとれる三女、現実的な四女、妹のいうことをよくきいておろおろしたり世の中の動きに自分を合わせていく次女。

帯のシーンは大映版にもあったが新東宝の方が姉妹の性格描きわけがくっきりとしている。

高峰秀子の10代からの恋人奥畑、以前観た時*3も印象が良かったが、少し前に追っかけていた東映時代劇で軽妙な役を巧みに演じておられる姿を度々拝見する田中春男さんと判明。嬉しかった。彼のばあや役は大映、新東宝ともに浦辺粂子。新東宝で次女を演じた轟夕起子大映では長女鶴子だったな。年代とともに移動。そんな変遷も楽しめる。

鶴子のキャラクターも映画会社によって変えてあったが、新東宝の山根壽子さんの芯はあってはかなげな感じとても良い。そして花井蘭子演じる三女雪子、自分の中では原作イメージ通り。辛辣さと辛気臭さを持ち合わせ、雪子はこうじゃなくっちゃという感じ。やはり全体的にみて新東宝版がいいな、となった。

細雪」を反芻していて、ふと、向田邦子の「阿修羅のごとく」も多分「細雪」の子孫っていう部分あるなあと。姉妹それぞれの生き方、悩み。特に家のみんなを驚かせるけれどやはりあの家族の一員であると意識させられるTVでは風吹ジュンが演じていた四女、冒頭パートナーがいなく、頑なにみえるいしだあゆみが演じていた三女。

*1:「ナオミ」、「赤いスキャンダル・情事」 - 日常整理日誌

*2:80年代の市川崑のをこの後みて、戦前の話だけれど船場にあった本家の家屋がビルディングになるといなう話が出てきて、じゃあ大映版も戦前か!となった

*3:細雪 - 日常整理日誌

アステロイド・シティ

 

50年代のSF映画の感じがベースになっている。モノクロ部分とカラー部分のつながり、鈍い自分ははじめ戸惑ったが、カラー部分を演じている演劇の話かなというのが自分の解釈。

ウェス・アンダーソンの映画にいつも出てきて、その存在を乗り越えたり、その存在自体の哀しみが表現される「父」、今回のその役回りは、トム・ハンクス。若い時から観てきているから、今や彼がこのポジションなんだなと感慨。

数学的に整って美しいけれどそれが人を遠ざける鎧のようにもみえるウェス・アンダーソンの作品。今回はそれを纏って世の中にやっと対峙できるようないびつで傷つきやすい魂というものを親近感をもってとても意識した。

おちょくったような変わった口調でだけど冥界に行ってしまった人たちと自分やさらに自分よりあとの世代の人びとをつなぐまさしく「夢」というものを楽しませながら提供してくれた作品だったなあと後味良く噛みしめている。

オーディブルで聴いた小説 「うどん陣営の受難」「令和の雑漠なマルスの歌」

オーデイブルでちょこちょこ色んなものを聴いている。メモが必要な内容のものには向いてないかもだが、雨の日の待ち合わせだとか、単調な家事をしながらにはとても向いている。

 

昨日ちょうど聴き終えたのは津村記久子さんの「うどん陣営の受難」

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荒唐無稽に面白がらせるようなタイトルなんだけどさにあらず。津村記久子さんは会社や仕事が舞台の小説をよく書いているイメージだけどこれも多種多様な人と一緒に働く会社の味わい(いいことも悪いことも)が滲んでいる。会社の代表選にまつわる悲喜こもごものストーリーだが、人の弱みにつけ込んで自陣営に取り込もうとするやり方がえぐかったりしてほんものの国政や地方の選挙の話あるいは宗教の勧誘話を会社の話にしてある?という感じ。会社に置き換えてあるからこそのユーモラスさがある。会社で働く主人公の日常の描写はえらく細かくてリアリティがあって何かへのなぞらえとか関係なしに面白い。

自陣営に取り込むために人の不幸を利用する、わりと人間のやってるどこの集団でもあるかもしれないしな。

オーディブルでの朗読者もいくつもの声色を使い分け、基本的な空気的は伊藤沙莉風で愉快。

 

その前に聴いていた町田康の「令和の雑漠なマルスの歌」

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人に優しくない人を厳しく糾弾するという集団。その集団の「人に優しくしましょう」って歌に何とはなしに心を持っていかれる人びと。なんだかクロード・シャブロルの映画「ドクトル・エム」みたいな空気も。みんなで一斉に何かの方向に行くって内容の如何を問わずこわい。

町田康氏の描く世界はわやわやで自分の表面的な理解は越えてしまうような泥沼がありそう。だが、とりあえず表面的に味わっていても楽しい。上に貼ったあらすじだけ読んでいても筒井康隆風の口調だ。

ディア・ピョンヤン

 

大阪で生まれ育った在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督。父は朝鮮総連の幹部、三人の兄は北朝鮮帰国政策で北朝鮮へ。

そんな監督の家族を軸にしたドキュメンタリー。

日本から生活の支援をして、マンギョンボン号に乗って家族に会いにいく様子。そこで映される90年代と2000年代の北朝鮮の姿も貴重な映像と思われる。

兄たちが帰国した当初は、現地の生活にレベルを合わせるよう、仕送りなどしなかった母が、孫が凍傷になった話をきいてからカイロや文房具などをどっさりと送ることにしたそう。

監督自身は北朝鮮のありかたには疑問を持ち、イデオロギー的には賛同できないが、人間としての父母のことは敬愛しており、複雑な気持ちで続ける撮影。終盤、カメラに映る父の小さな変化に心を動かされる。

あくまでも家族の姿を描く、その向こうに北朝鮮の姿がみえるという形がすっきりしていて、撮影姿勢も基本はナチュラルでとても観やすい。

冒頭に説明があった戦後の在日の人びとの北朝鮮籍韓国籍の選択は出身地によるものでないこともはじめて知った。監督の家族も地縁的ルーツが北朝鮮なのではなく、済州島だということ。

監督の著書を読んでいる家族によると、朝鮮大学校時代の暮らしを描いた著作も面白かったらしい。

この監督の家族を撮るシリーズも以降何作かあるらしく、何より描き方が面白いので続きも見ていきたい。