時代劇が前衛だった

 

 

国立映画アーカイブ京都府立文化博物館の所蔵している画像資料多し。わかりやすい。

日本映画の青春記。それぞれに面白いけれど、一番興味深かったのは今まであまり知らなかった衣笠貞之助の項。

自分の中の衣笠監督は「地獄門」の監督であり、女形出身だけに山本富士子などの映画の女性の所作に秀でているというイメージ。

「狂った一頁」や「十字路」などの前衛的な初期作品をまだ観てなかったが、ドイツ表現主義を一杯吸い込んだこの頃こそ、海外でも評価されていたのだということにやっと周回遅れでたどり着く。「十字路」のパリ上映では藤田嗣治が舞台挨拶をしたという。「狂った〜」はかっとびすぎてる評判で観るのが後回しになっていたが有名な葦原将軍が入院中の松沢病院に衣笠が取材をしてそのはなしをもとに川端康成が脚本を書いたものだとか。事情を知るとさらに今の感覚では「大丈夫か・・」と思ったりもするけれど。

戦前渡欧でのエイゼンシュテインの出会い。1928年の二代目左團次のモスクワ公演を隣の席で観覧し、エイゼンシュテインは松の廊下で怒りの感情を長袴の裾と太鼓の音で同時に表現しているシーンに「これこそトーキーだ!」と感心したらしい。

二代目左團次の登場で連想したのは初代猿翁。

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初代猿翁の功績は我が地元に春秋座という当代猿之助もゆかりの深い劇場にて展示をみたことがあった。洋行のはなしなど随分開けた人だったんだなあと思っていたが、この時代のうねりというのがあるのだな。左團次との関係も載っているし。春秋座では当代猿之助義経千本桜のドキュメンタリーも観たり本人の舞台も観たものだから今回の事件が胸に刺さってしょうがない。。と、本から話がそれてしまった。が、どうしてもつなげてしまう。

そうそう衣笠監督のお茶屋遊びの話も西岡善信氏のことばとして載っていたが、その手の話は身内からもきいたことがあったなあ。