アダマン号に乗って

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聾唖学校の話をまじめくさりすぎた感じでなく描き、新しい見地を提供してくれた「音のない世界で」*1や閉じ込め型ではない精神病院の様子を描いた「すべての些細な事柄*2などニコラ・フィリベール監督の作品は惹きつけられる魅力がある。

今回の作品は、セーヌ川に停泊した舟の精神医療のデイケアセンター アダマン号の話で、べルリンでも受賞。

美しく、カフェで好きな器で好きな濃さのコーヒーを飲んだりしながら過ごせるデイケア。裁縫だとか絵画だとかさまざまなワークショップがあるようで映画の会を催したりもしているみたいだけど、フェリーニキアロスタミのポスターが貼ってありセンスが良い。ちょっとした雑談に出てくる会話の中にも映画や文化に関する卓見がちりばめられ、利用者の話を丁寧に聞いており、こちらもそれをきいている時間が楽しい。通うならこんなデイがいいと思わされる。

利用者の話し合いの時間がたくさんとられているが、ラスト近く、その時の議題とは違う提案をある女性がする。彼女も自分の経験に即したワークショップを主催したということ、この件についてずっと申し出ているのに叶えられない、という話をし始め、運営側が検討の余地があるからすぐに決められないという返事をする。きいていて良さそうな提案なのにと思ったのだけど、慎重な返事がかえってくるところに、今このカメラで映ってない課題もあるのだなと考えさせられ映画もほぼそこで終了。この作り方はいい。

好きな者同士の結婚だって波風たたないわけではない、ましてや病を抱えた多くの人が集う場にはそれなりの問題もなかったら嘘になる。そっちの要素もちゃんと意識しながらも監督の語りたいことは人の気持ちを尊重することによって生まれる空気の良さ、そこから来る好循環ではないかな。尊重と盲従の線引をきちんとできる受け手側の質も要求され、自由を重んじる運営はそれだけ難易度が高くなるけれど、学校でも人の生き方でも他者から強制されるのではなく内発的なものこそ高いパフォーマンスが期待できると思うし、そこが要なんだよと。