ノマドランドなどなど

11月になり、3月に亡くなった父が今年の頭年賀状交換していた方々への死亡通知を準備し始めている。父が筆まめだったため、長年に亘って手紙のやりとりをしておられた方もいらっしゃり、読んでいると相手の方と父の人生などに思いを巡らしてしまう。また未整理で遺された写真なども整理しようとみているのだが、自分が実家にいなかった時代の父母や祖母の姿が今の自分と近い年頃だったりして、その当時は気にもかけていなかったこの時どんな心境だったのかななどという気持ちになったり。「舞踏会の手帖」*1というのは自分の若かりし頃、気にかけてくれていた異性を訪ねる物語で、訪ねていくことに躊躇がない姿に自信家で羨ましい・・というような気持ちにもなったのだけど、過ぎた一つの時代を回想しての感慨という面ではもしかして今の自分の心の中に浮かぶようなものを描いたものかもとも思えてくる。

とりあえず自分亡き後遺されたものが困らないように色々整理しようと思っているのだけど、ちょうど観た「ノマドランド」、自分向けの映画のようにも感じた。

 

所有してきたもの、関係をそぎ落としてそぎ落として車で現代の遊牧生活をする人々。

ここまでの形ではなくとも、「終活」ということが付き詰まるとこういう形になるのかとも思う。住んでいる土地なじみの人と関わりを持って気持ちが引きずられたりすることからフリーになり、テンポラリーな関係ゆえに別れを告げたり別れに立ち会ったりということがないから逆に永遠に生き続ける関係になるともいえる暮らし。

人間は一人で生まれ一人で死ぬのだから本来の姿ともいえるけれど、「おらおらでひとりいぐも」*2の主人公と同じく、そこには淋しさというものがついてくる。フランシス・マクドーマンド演じる主人公もノマド生活の中で出会った新しい出会いの中で定住生活に戻る誘惑とも闘っている。

自分はどんな老後を送りたいかというとギリギリまで自由に生きていたいと思うのだけど自由は思い付きだけでは完遂できないんだよ、とりあえずは自由を支える生活のスキルも必要だし、準備も必要だ、からだがいうこときかなくなったりしたらその中でどう折り合っていくのかなどということに思いを巡らされる作品だった。