「ピアノ・レッスン」(1993)で有名なニュージーランドのジェーン・カンピオン監督の作品をいくつか観た。
まずはtwitterでタイトルを拝見した「ルイーズとケリー」(1986)。
10代の少女の気持ちを事実の積み重ねで描き簡潔で充分な表現。時系列が新しいものから古いものへとすすみ種明かし風でもあり、そういうことを踏まえての今なのかと最初のシーンが違って見えるような構成。ドラマ「木更津キャッツアイ」の巻き戻しのシーンも思い出す。ラスト近く手紙のシーンで表現される登場人物のこころの世界がみずみずしくも切なかった。
次に観たのは「ある貴婦人の肖像」(1996)。
こちらはヘンリー・ジェイムズの大河小説の完全映画化とのこと。ジェーン・オースティン作品のような女性×結婚のテーマを、ニコール・キッドマンを主役に据え、シリアスでとてつもなく贅沢に美しく描いている。
世間的な常識から逃れ、美の信奉者を選んだ主人公の悲劇。19世紀という時代設定ならではの大がかりさで面白みが増しているけれど現代にも通じる話だと思う。嫌ったらしいディレッタント人間をジョン・マルコヴィッチが好演。この人が一番いいのにと思ってしまう病弱な従兄弟を演じたのはマーティン・ドノヴァン。ハル・ハートリー監督作品の常連だ。ハル・ハートリー監督とは趣が全く違うこの大時代な作品の中で十九世紀的人物をしっくり演じており同一人物と全く気が付かなかった。
もう一人有力候補として出てくるのがヴィゴ・モーテンセン。最近は映画「グリーンブック」でまた違った魅力を出しておられるときいていて興味を持っているが、私には「ロード・オブ・ザ・リング」のストイックな勇者として記憶している彼が、ちょっとヒネた感じも持つ青白い炎が気になるような求婚者として出てくる。
ヴィゴ・モーテンセンやマルコヴィッチに惹かれそうになるキッドマンの演技が官能的だ。産む性として、また社会的な縛りの中であの輝ける少女時代はどこに・・という部分が多くの女性にはあると思うが、その始まりの感じをとてもうまく美しく表現している。
三番めの作品は「エンジェル・アット・マイ・テーブル」(1990)
監督の母国ニュージーランドを代表する女流作家ジャネット・フレイムの自伝3部作を映画化したもので、今回観た三作品の中で私はこれが一番好きだった。「ピアノ・レッスン」を観た時*1、映像の美しさを感じる一方、動かしがたい雰囲気の登場人物たちに圧倒されもしたのだけど、この映画にも冷厳な現実は横たわっているものの内気なジャネットの小学校の失敗談から始まって親しみやすい語り口。異性への興味と異性からの無理解、そこからの悲劇は「ある貴婦人の肖像」とも「ピアノ・レッスン」とも通じる。いずれの映画も悲劇的な部分はしっかり描かれるけれどそれだけで終わってない。そこからの再生(あるいは再生へのともしび)が安易でない形で描かれおり、悲劇を売りものにするのでなく、いろいろあるけれど生きていくさという感じが気持ち良い。
アラン・シリトーが出てくるがImdbをみると、本人が本人役で出ているわけではないようだ。交流があったんだな・・映画で描かれているが、誤診でロボトミー手術の寸前までいくとはそら恐ろしい・・
「ピアノ・レッスン」も今観るともっと深く鑑賞できそうだ。20年前友人が掲示板で書いてくれていた「女性の立場から感じる愛や官能を描いている」という言葉が今また響く。
物語の深刻さを和らげてくれるはっとするような美しい映像もどの作品でも特徴的だ。