タイトルも対になっているけれど姉妹作のような感じ。登場人物や設定が似ている。
1969年公開の「女は度胸」は森崎東監督のデビュー作とのこと。「男は愛嬌」の方はその翌年1970年公開。
「男はつらいよ」シリーズでも森崎東監督の撮ったものは異色作といわれているが(↓参照)
上の寅さんのファンサイトの方が「男は愛嬌」について書かれている記事の中の
『男はつらいよ』シリーズは第5作『望郷篇』から山田洋次監督のみがメガホンをとり、以降、車寅次郎のキャラクターは回を重ねるごとにマイルドな人格になっていくく。
しかし、もし『男はつらいよ』シリーズが毎回違う監督がメガホンをとる映画シリーズになっていたならば、車寅次郎は本作の渥美清が演じたように、もっと粗暴で、もっとヤバい男として描かれていたのかもしれない。
という言葉、私もいつも思っている。
山田洋次監督の欠点として時々耳にするのは、インテリの上から目線で庶民を描いているという評だけど、森崎東監督の作品世界は庶民生活にもうどっぷり浸かっている感じできれいごととは無縁のたくましさを感じる。二作品とも渥美清が立場的には寅さんのような破天荒な役だが、寅さんみたいな女性には初心などという設定ではなく、女性との交際もあけっぴろげ、大いに楽しいし、そこからの名台詞もたくさん。声を出して笑ってしまうし、めちゃくちゃな感じなのにきらりと胸にささるものもあってそれが後年の寅さんの説教口調ではなく、いい男、って感じ。
二作品とも悪い奴じゃないが、インテリ志向の弟、というのが出てきて、痛々しいことをしでかすというシーンがあるが、ちょっと他人事ではない気持ちにもなった。自分が考えすぎて空回りしている時に似てないか?と。しかしそんな弟の振る舞いも最終的には愛情のある回収、良い心地。愚かしい場面での「フランシーヌの場合」の使い方なども時代の空気も感じ楽しい。
「女は度胸」の方では、河原崎建三演じる弟役が「家族とは・・」とか、青臭いことで悩んだりするが、その言葉が投げやりなような家族に引き継がれるたびドヴォルザークの「家路」のかかるセンス、妙な具合に生きるゲーテの詩集、森崎東監督の著書のタイトルにもなってるらしい「頭は一つずつ配給されている」の台詞など、非インテリ的スタンスといえども、生活の中に生きている箴言、のような空気が流れ楽しめる。
二作品の中で特に「女は度胸」の方が良いと思ったが、
羽田空港からの隣接する地域の当時の風景や
倍賞美津子さんの若き姿などもキュートだった。
また二作品とも倍賞美津子の友人役で沖山秀子さんが出演。「神々の深き欲望」*1で気になっていた女優さんだ。「男は愛嬌」の方で披露される歌声も素晴らしい。wikipediaの記載によるとジャズシンガーでもいらっしゃったようだ。