日本映画の若き日々

私の中の稲垣浩監督のイメージは伊丹万作の盟友として一緒に明朗時代劇やスパイスもきいたヒューマニスティックな映画を作ってこられた方。京都・出町商店街に出来た古本屋さんでこの本をみかけ、パラパラっとみたところおもしろいけれど、父の本棚に並んでいたかな?と一旦うちに帰り調べ、ないことを確認してから数日後買いに行ったらもう売れていた。となると、どうしても読みたくなってしまい、必死に探し、結局京都府の図書館でみつけて読むことができた。
戦前から戦後の日本映画の元気のある時代の群像が描かれ、稲垣監督が生きていた時代にふわっと連れて行ってくれる本だった。千恵蔵さんやバンツマさん、山中監督・・それに先日稲垣監督の「春秋一刀流*1とともに紹介してもらって最近出会うことの出来た井上金太郎さんの名前。フィルムを集める弁士の松田春翠氏。

最初の「京都映画散歩」の章では、映画が作られた場所を歴史的なことを踏まえて書かれていて、京都に長年住んでいても知らなかったことが読みやすい筆致で登場する。ロケ地が書いてある映画はもう一度みてみたい。
メモ

  • 山陰線の花園 

夏野公という花の好きな左大臣が別荘をおいて造園されたことかららしい・・岩倉にも別荘があり、岩倉花園町の名前の由来になったらしい。
夏野公は、後三条天皇の皇孫有仁親王であり、白河上皇に愛され、鳥羽天皇皇嗣がなかったので、一度はお世嗣ぎと定められたが、その後崇徳天皇が生まれたので源姓を賜って人臣の列に下り、とあるけれど、「平家物語」のおはなしに一味加えるエピソードだなあ。
無法松の一生*2花園駅のロケーション写真が載っている。ホームの園井恵子さんの後ろから話しかけるお芝居をしているバンツマさんの姿。

  • 化野念仏寺

いつのころからか信者たちが願望成就のお礼に、御影石の地蔵や五輪塔をここに納める習わしとなった。それが積もり積もって境内は足の踏み場もないほどに。(という表現を稲垣監督はされている(笑))

門を入ると白い土塀のある末寺の門がならんでいて、そのまえが松並木という、武家屋敷そのままなところが時代劇のロケに好都合であったのと、撮影所との距離の近さ、また周辺も、渡月橋、大井川、渓谷、竹藪、材木場など変化のある場面が短時間で撮れるのでよくロケされた。

伊藤大輔監督の「大岡政談」完結編、丹下左膳が追いつめられる井戸の前のシーンの写真。天龍寺の末寺東向大黒天で。東向大黒天自体はこの本の書かれた昭和53年時点で老人ホームになっているようだが、撮影場所は残っているそう。

  • 嵐山

東側の土手は藤原堤といって、松の並木があり、東海道の風景に似せることができた。

  • 下河原

川とは離れて高地のこの土地に「下河原」という名前がついているのは、高台寺祇園社のあいだに谷川があって淵となり、下河原とよばれる美観があり、あるとき、集中豪雨の鉄砲水で谷を埋め土砂が盛り上がったとか。遊ぶところは八坂まえ、祇園山にゆずってこちらは身分のある人の隠れ場所となったということで、映画と関係の深い「さくら家」という家のこと。寺田屋のおとせや木戸孝允の妻幾松のような義侠心の持ち主のおかみさん。俊藤プロデューサーを陰で支えたおそめさん*3やうわさにきく東京の神楽坂の「和可菜」、小津安二郎が1963年に撮ったドラマ「青春放課後」の舞台なども思い出す。

  • 青蓮院

「江戸最後の日」で薩摩屋敷として撮影
清水宏の「蜂の巣の子供たち」もここが舞台。

「出世太閤記」への情熱。プロデューサー的働き。