桃太郎 海の神兵、フルトヴェングラー その生涯の秘密

かたやアニメーション、かたや音楽記録映画だけど、両方とも戦争と芸術というテーマを考えさせられる。フルトヴェングラー自体はナチズム思想の人ではないとのこと*1だけど、政治とはかかわりなく、ナチスドイツ下で芸術を追求したことにより結果的にナチスに利用されてしまったような形になった経緯について、アーベントロートという政治学者が語った「現代において非政治的な存在などない。人間性のための戦いは芸術の義務」という言葉はとても重い。伊丹万作の「戦争責任者の問題」なども思い出す。

日本語版製作の韮沢正さんという方の言葉がビデオについていたが、ナチ時代の映像は、占領軍の接収を受け、フルトヴェングラーナチスのマークの前での演奏会の様子はアメリカから返還されたものの中からも出てこなかったのだけど、田舎の現像所でオリジナルネガがみつかり、それを再現できたということ。
フルトヴェングラーの音は、ほとんどがライヴもので、版権が入り組んでいて、なかなか上映できないという問題をやっと乗り越えたフィルムとのこと。

政治や社会情勢と映画・・このあたりの事情は、日本映画事情とも相通じている。
海軍落下傘部隊のことを桃太郎になぞらえた「海の神兵」も、米軍によって焼却されたと思われていたが、39年後に松竹大船の倉庫でネガが発見され、昭和60年に「幻のアニメ甦る!」と再公開されたそう。

昨日京都新聞に「幻の京都映画」と題する岡本晃明さんという方の署名記事が載っていて、田坂具隆監督が占領期にGHQに提出した「ビルマの竪琴」の台本が国会図書館GHQ資料のマイクロフィルムから出てきた話が書かれていた。(市川監督のものとは別物。)

田坂監督は、「ビルマの竪琴」の映画化準備中の50年、「きけわだつみの声」の評を雑誌に寄せ、「将校、軍幹部があまりにも類型化された悪役に描かれた」との反発や、「私自身は思想的な問題に今だ割り切りのつかぬまま」だと、それは永久の模索だと記しておられるらしい。

京都新聞には続けて、

戦中に「神風特高隊」など戦意発揚映画を海軍の依頼で手掛けた悔恨が心にささっていたのか。監督はどんな人も軍隊組織では「どうしても押しつぶされてしまうもの」とも書く。

と記されていた。

田坂版の「ビルマ〜」が実現化しなかったのは、田坂監督が原爆を被爆したことによる体調的なことだったのか、それとも別の理由があったのかはっきりしないが、日本兵が「埴生の宿」を歌うと、銃口の向こう、敵の英軍兵士も英語で歌い始めるようになっていたらしい。*2
続けて、依田義賢さんの49年の「わが恋は燃えぬ」という脚本でも、占領軍の意向をうかがう会社の意思でシーンの取り下げがあったことが書かれており、

結びとして、

映画芸術は「時勢」や政治権力、大衆の欲望と緊張関係にあった。映画の都だった京都には多くの記憶が眠り、フィルムに戦争と戦後の傷も刻まれている。

京都文化博物館には映画関係者から託されたシナリオや映像など約30万点が整理されている。しかし、図書館と違い、映画関係資料はコンテンツ産業の面がある、研究目的の閲覧はできて、複写や上映、インターネットでの公開に肖像権や保護期間の著作権法改正も絡み、権利許諾の手続きが複雑だ。
(中略)デジタル時代にどう開くか。現代的な課題だ。

と書かれている。今日見た二本の映画ともこの記事に載っていた問題と近いところにある。

「桃太郎」の方は、政岡憲三さんの名前がクレジットされている影絵の部分が特にすばらしかった。

桃太郎・海の神兵 [VHS]

桃太郎・海の神兵 [VHS]

友人にきかせてもらったフルトヴェングラーの指揮が入っているCD

ベルリン・フィル・ヒストリー

ベルリン・フィル・ヒストリー

*1:wikipediaヒンデミット事件参照

*2:はじめて読んだとき、平和的でいいじゃないか、と思ったのだけど、日本軍が平和的に描かれていることが占領下においてはNGとなりかねないとのことだ