四代竹本越路大夫

越路大夫のお姿には山川静夫さんが司会をされていた古典の番組の特集の回でしか触れたことがない。その対談で話しておられた様子や、その番組で紹介された舞台や文楽の歴史がもっと肉付きを帯びてこちらに迫ってくる本だった。納得のいかない生き方はできないという合理的なものの考え方、でもやるべきと思ったことは徹底してする姿、神々しく気持ちが良い。そして、松竹の労働組合の問題から二派にわかれて文楽をされていた時の苦労話・・並大抵のものではない。15年*1もそれが続いたということに敬服の念を持った。
芸談の部分は見にいったことのある演目のところは見当がつくのだけど、未見の演目の詳細について語っておられるところは、みてからのお楽しみになるだろうな。大夫さんの声の出し方、三味線の音律の名称など、とても丁寧に脚注がついているのだけど、(人物索引も充実)、私のような初心者はそれをDVDのような音源で確かめることをしてみたいな。
著者の高木浩志さんの文楽の本の丁寧さはかねがねきいていたけれど、読んでみて確かによかったし、ほかの本も読んでみたいなと思った。

四代竹本越路大夫

四代竹本越路大夫

2015年12月
文楽鑑賞の先輩かなさんがこの本を読んだ感想を送ってくださったので、許可を得て転載。

 大夫として決して恵まれた声帯、イキ、口の構造をしていなかったと、と述懐する師匠。大成されてからの映像しか知らなかったので、この発言には驚いた。
 数多くは見聞きしていないものの、美しい声で品の感じられる語りは非常に心に残るものだった。(直接ではないが、つくづくDVDとは有難いものだ。)山城の師匠と三味線の喜左衛門師匠は゛越路″という大夫を形成する上で欠かせない存在であると同時に2つのおおきな山として立ちはだかっていたのではないだろうか。山城の師匠の浄瑠璃は一度か二度聴いただけ(無論映像で)、しかも全盛期と言われる頃を過ぎた時期のものでほんのさわりだけだったが、「恐ろしいほどの上手さ」を感じたものだった。
 もちろん生い立ちから語られる越路の話は興味深く良い意味での育ちのいい人の一種の強情さも伺えた。が、個人的には「語り物あれこれ」が演目に取り組む大夫の解釈、姿勢が表されていて「なるほど、そういうものなのか・・」と思わされた。偉大な先人や師匠の語りを基本としながらも、そこに゛越路″の味を加えてゆく。そこには絶対の正解というものはなく、年齢や経験、生き物としての声によって刻々と変化しつつも基(元)になるものはゆるがない、という世界。これこそが伝統というものが持つ底なし沼のような魅力の源泉なのだろう。

 

*1:この本によると15年・・2015年10月14日京都新聞の住大夫さんのことを書いた「戦後70年 わたしの軌跡」には14年と・・月の勘定の仕方が違うのかな・・どちらにしても長い年月である。