評伝 ナンシー関

この著者の本は「アマゾン・ドット・コムの光と影」というのを読んだことがある。アマゾンにバイトとして潜入したルポ。この本も同じ著者らしく足で稼いでナンシーさんの人生を周りの人の証言と作品でかためていってる。自分は本当にナンシーさんが好きだったので、出てくる作品も読んだことのあるものばかりで、懐かしく思いながらすらすらと読めていく。しかも、62年生まれ、地方のカトリック女子校で、YMOやらたけしのオールナイトニッポンやらきいて東京に出てきて・・というスタート地点は、自分のすぐそばにいる人という感じで時代の空気が懐かしすぎる。やっぱりほぼ同年代の上京物語「横道世之介*1を、なんか心拍数あげながら読んでいた時と似た心持ちにもなった。(世之介を書いた吉田修一氏もナンシーさんと同じ法政大学であり、自分の大学とも近いロケーションであることでなお一層近さを感じてしまう。)
ラストのまとめ方は、華やかだけど急逝してしまった人たちを扱っているほかの本(自分の読んだものだと太地喜和子*2とか田宮二郎*3の評伝)と似た空気(こういうことが命を縮めたのでは?のような雰囲気)が流れていて、自分にはナンシーさんのことをそういう風に咀嚼するのは違和感があった。そういう昭和のスターとは違って精神的にもっと近いものを感じられる同時代人だから。(自分の読んだ太地さんの評伝も田宮さんの評伝も愛情込めて書かれたものではあったけれど、なにか壮絶な人生ということを強調するようなものだった。)そしてその流れで、ナンシーの体型と文章の関係とかも、体重の軽重で受け取り側の態度、気持ちがかわるというのは、岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」*4などでリアルに感じ取れたし、デーブ・スペクターのナンシーさんへの反論記事なんかからもいやというほど思い知らされたけれど、あのナンシーさんの文章の源がそこにあるのかないのかってな議論は、どっちでもいいことだ。
なるほどと思ったのは、山藤章二が、まず絵の方より文章の方でナンシーさんのことが目に留まったこと。あと世界文化社の編集の耼田さんという方の仕事ぶり。ナンシーさんの妹さんによると、世界文化社の耼田さんはナンシーさんが最も信頼していた編集者の一人、とのことだけど、わたしも数あるナンシーさんの本の中でも世界文化社から出ているシリーズは特に魅力あるなと思っていた。いろいろな雑誌で書いた文章をまとめられた本とのことだったが、現場の信頼関係や熱意っていうものは出来上がった本にやはり反映するのではないかな。


評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」

評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」