わが映画人生

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国立美術館クラウドファンディング“『わが映画人生』デジタルファイル化プロジェクト”で、日本映画史上、唯一無二の“監督による監督のインタビュー映画”『わが映画人生』(日本映画監督協会製作)約110篇のファイル化が完了。京都文化博物館でその成果のお披露目会ということで、11日の田中徳三監督の回と12日の澤島忠監督の回に観に行ってきた。

 

3/11 田中徳三監督の回では、助監督時代の現場の話がなかなか興味深く。田中監督は溝口監督にも黒澤監督にも助監督として就かれたが、絵コンテをきっちり用意し、それに沿って作らなければならない黒澤監督と現場から出てくる空気を拾おうとする溝口監督の差がすごくあったと。溝口演出でダメだしはされるけれど、指示をしてもらえず「(役の心を)反射してください」なんて命じられ追い詰められる話を読んだりしたが、なるほど「厳しい監督」でも方向性はまるで違うんだな。宮川一夫カメラマンは、黒澤監督の時はいわれたように撮っていたが溝口監督の時は好きなように自分でアングル等決めて勝手にやっておられたとか。面白い。

助監督時代、勝新雷蔵さんの駆け出しからつきあっていたから、勝新なんかも「悪名」の時なんかは、割合我を出さないでこっちの指示に従ってくれた・・その前の「不知火検校」までは本人にあわない長谷川一夫風の役をあてがわれてぱっとしなったし。「悪名」は、はじめの二作で終わりたかったから田宮を殺したのに、その後兄弟として生き返らせることになって・・正味はじめの二作だけがイイ。という話。「続悪名」のラストは当初考えていた雑踏の中のロケが間に合わなく無理やり現行の形にしたが、それが評判良かったとのこと。もう一回観ないと。

学生時代は海外の演出論の本など読んでいたが、監督業をしていて一番怖かったのは役者が下手な演技をしている時、照明がしらーっとしているその目だった・・批評家なんかよりずっと恐ろしい。ああいう人が一番わかっているのだからという話は特に心に残る。

インタビュワーは土井茂監督。田中監督のチーフ助監督をたくさん務められた。田中監督は勝新雷蔵さんのことも「かっちゃん」、「らいちゃん」、そして土井監督のことは「どいちゃん」とずっと呼んでおられた。実は、土井監督は、父の大学映画部時代からの友人であり、うちの父のことずっとちゃんづけで呼んでくださっていた。大映映画とそこで奮闘しておられた監督の時代に特別の思いを馳せるひとときだった。こぼれ話もすごく面白かったのに・・連続で二人分みて忘れかけている・・カメラマンと監督は割合仲悪い・・「炎上」でも決裂あったとか・・そんな話。

 

3/12澤島忠監督の回。人懐っこくて話し上手。観客、東映の現場にいらっしゃった方では?という感じの方多かった。とにかく澤島忠監督の映画を愛していた人々だなあという空気。監督の愉快な話術にひきこまれ、皆声を出して笑う。いい雰囲気。

先輩内田吐夢に批判され、言い返して机ひっくり返されそれっきり会ってない話など絶品。監督の映画は歌舞伎やミュージカルの要素が生きているもの多く、ほんとにテンポよく楽しませてもらうけれど、幼い時から祖父の浄瑠璃や講談を聴いて育たれ、それが血肉となっておられるという。実家は材木商でいらして、材木使ったシーン多いとのこと。そういえば、大好きな「暴れん坊兄弟」*1でも材木が大活躍していたなあ。

澤島監督は「人生劇場」*2で、任侠映画路線を幕開けさせたなんていわれているけれど、監督自身は任侠映画のつもりはなく、人情の映画を撮ったつもり。「股旅 三人やくざ」*3なんか私もとっても大好きな作品なのに、入りが悪くやくざ礼賛でもないから、やくざ路線を行こうとする俊藤プロデューサーから「俺の仕事を否定した」とかすごまれて、どうも東映がイヤになられたらしい・・

映画から離れ、錦之助美空ひばりの舞台演出を務めるようになられたが、二人の人柄を語る監督の様子はとても楽しそうで、美空ひばりにはいまいち乗り切れてなかった自分もなんだかこれからはOKとなった。