任侠ものというより、松竹の作った石松ものという感じ。型通りのかっこいい話でなく、飯田蝶子のお母さんや、殿山泰司の友人など渡世業以外のひとがきっちり描かれる人間ドラマ。
観ながら、木下惠介監督の「新釈 四谷怪談」のテイスト*1を思い出す。
「吉村公三郎 人と作品」を読んでいると、
佐藤忠男氏による「吉村監督作品24選」という項にこの作品のことが。
この作品の撮られた1949年、占領軍がチャンバラを禁止していたこともあって、時代劇のための松竹京都撮影所が弱体化。ヒット作の多い現代劇の松竹大船撮影所からとくに指導的な監督たち何人かを京都に派遣して今日的な感覚のある時代劇を作らせる試みが行われたそう。
その一連の作品に木下惠介の「新釈 四谷怪談」、大庭秀雄の「情炎」、「絵島生島」*2、渋谷実の「青銅の基督」などがあると書かれていた。やはり!
興行的に振るわなく、会社が失望、これが後に新藤兼人と吉村公三郎が松竹をやめて近代映画協会を起すきっかけとなったと。
型を求めていた観客にはウケなかったかもしれないが、自分にはとても面白い石松。
いつもとは一味違う笠智衆。武士がイヤになった料理屋の主人。
そして、石松を慕う轟由紀子の仇っぽさ。こういう芝居もされるんだという感じ。そして彼女の思いやりの身に染みること。
途中謎の喧嘩の仲裁シーン。妙にコミカル。
そして、敵役の志村喬の迫力のあること。
次郎長一家の三井弘次が手堅く嬉しい。
定型じゃない面白さがたくさんあった。
浮世絵風の画で始まり、ラストも実写の物干し台が浮世絵に変化する洒脱さ。
美術は水谷浩氏となっている。
今、国立近代美術館で展覧会をしている甲斐荘楠音が風俗考証。