「運命の饗宴」「アンリエットの巴里祭」と「パリで一緒に」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、三谷幸喜の作品をずっと観てきた自分は、登場人物に鎌倉武士の名前を多数つけてあったドラマ「王様のレストラン」を思い出しながらの視聴となっている。「王様のレストラン」では和田や梶原、大庭などの「鎌倉殿~」にも出てくる苗字の人々に混ざってデュヴィヴィエというフランス人の登場人物がおり、これは、三谷氏がフランス人といえば、という思いつきでデュヴィヴィエ監督の名前を使ったとか。デュヴィヴィエ監督の作品あまり観ていないな、とこの際なので「運命の饗宴」と「アンリエットの巴里祭」の二作を鑑賞。

 

「運命の饗宴」は、和田誠さんの著作「ブラウン管の映画館」に「一着のタキシードを狂言回しにして、いろいろの人物を面白く描くオムニバス」と紹介されていて鑑賞。

 

立派な仕立てのタキシードなのに、作るときにモメて喧嘩相手の職人から呪いをかけられたという代物。「気にしますか?」などといいながら最初の持ち主に渡す仕立て屋。なんとも禍々しいスタートでどんな酷いことが起こるのだと恐れながら映画の世界に入る。そのバイアスがちょうどこちらの気持ちの盛り上げに繋がって固唾をのんで映画を観続けられる。スリルを味わっただけで納得のいかない嫌な気分になるものではなかった。なかなか良い頃合い。

ハラハラが頂点に達したのがチャールズ・ロートンが不遇な指揮者を演じた回。

この作品全体冷笑的なまとめ方でなく、登場人物に寄り添った演出で物語の中に一緒に入り込めた。なかなかの佳作。

アンリエットの巴里祭」は、二人のタイプの違う脚本家が映画の構想を練って話の筋をあれやこれや試行錯誤して進んでいく入れ子構造になった映画。この映画ではつくり手サイドにスイッチする場面が割合多いが、それを少なめにしたり消滅させたのがウディ・アレンの「メリンダとメリンダ」やドイツの「ラン・ローラ・ラン」ではないかな。

続けて、「アンリエットの巴里祭」の翻案とはっきりいわれている「パリで一緒に」を鑑賞。1963年製作。「媚薬」*1リチャード・クワイン監督作品。

筋を練る脚本家が一人に。こちらでは脚本家(ウィリアム・ホールデン)とタイピストオードリー・ヘップバーン)が物語内の登場人物を兼ねている。「アンリエット~」に比べて華やかで明瞭な語り口で面白みが増していると当初感じたのだが、ラストは派手になりすぎてショー的なまとめ方。私はデュヴィヴィエ監督版の人間ドラマ風のまとめ方が結構入り込めてよかったなと思った。

パリで一緒に」は、先日観た「グレート・レース」でもセルフパロディ的な演技がうまいなと感じたトニー・カーチスがやはりキマリすぎを嗤うようなノリで好演。最近の日本の俳優でいうと勝地涼が時々演じるタイプかな。

オードリー・ヘップバーンジバンシーのドレスの似合った姿勢の良さ、マレーネ・ディートリッヒのカメオ的な出演、アステア、シナトラの歌、夢のある舞台装置など60年代アメリカ映画的な楽しみには満ちていた。(ヌーヴェル・ヴァーグを揶揄する台詞も多々。)

f:id:ponyman:20220223101948j:plain「アンリエット~」では、シャンデリアの邸宅だった富豪男爵の家が、「パリ~」の方ではモダン建築に。

f:id:ponyman:20220223102809j:plain「ぼくの叔父さん」(1958)的な風味も感じるしゃれた色合わせ。

f:id:ponyman:20220223102744j:plainこちらの部屋も豊かでオールドファッションなかわいらしさ。