山崎ナオコーラさん

人のセックスを笑うな*1原作者の山崎ナオコーラさん、「人のセックス~」は映画だけ観たことがあったけれど、松山ケンイチが自由すぎる永作博美に振り回されるお話、という印象で終わっていた。

 

多分共同通信からの全国の地方紙への配信かなと思うのだけど、京都新聞に毎週日曜日ナオコーラさんの「日常の社会派」というコラムが載っていてこちらが読みやすい上に示唆に富んでいて面白い。8/22も「スポーツの祭典」というタイトルで、こんな書き出し 

 

 国単位で競う、というのがもう古い。ルーツがひとつの人ばかりではない。ミックスの人は昔より増えている。ひとつの国を選んで、その国の選手として戦わなくてはいけない、ということにすんなり納得できる人は減っているに違いない。

 報道の中でよく聞く「現在の日本のメダル獲得数は、金メダル〇個、銀メダル〇個・・・」といったフレーズにも古さを感じる。

 

もともとあんまりスポーツの競争に興味がなかったものでいきなり惹きつけられた。私も中高生の時運動会の暴力性、チームが勝つためなら味方をも罵る雰囲気がイヤでたまらなく、今年みたいな複雑な状況だと猶更メダル獲得数の放送に何か違和感を感じてしまう。

毎週、放っておけばおそろしいことになりそうな昨今の政治状況などをマイルドな口調で指摘されるのが本当に頼もしく、それが、ただ批判するのでなく、考え方の基本に立ち返り読んでいるものの内省を促すものであるのが素晴らしく、ナオコーラさんの著書をもっと読んでみたくなって、選んだのがこちら。

 

 

家事を時短で減らしたところでゼロになるわけでない、どうせならその時間について考察し生かし切ろうじゃないかというような「レタスクラブ」に連載されていたコラム。

さきほどのスポーツの競い合いの話に戻ると、地域の運動会など出てくれる人を決めたりも一仕事で、自分が積極的でない分それを人に強制するのもつらく、キツい仕事というイメージをずっと持っていたのだが、最近越してこられた若い世代の人たちは楽しんで参加されていて、先般、町内の役員として仕方なしに参加させられた時、その若い方々の良い空気に影響され、「挨拶しかしてなかった町内の子どもたちの個性が知れてよかった・・」などと思えたし、自分のエリアが好調だとやはり嬉しかったり、そのことで町内の人との距離が縮まったりもした。。。ので、スポーツ大会への自分の気持ちは一言では言い表せないような状況になっている。(ま、基本的には開催に関わるのは面倒という感じだが)

なんか、この本はそういう部分も多い。やっつけ仕事と決めてしまうから余計つまらない、せっかく時間を費やすなら自分が成長するなりプラスになるようにしたい、だからその仕事について思考するという流れ。それが、ただ、自分で良いことだと思い込もうとしている信者的な記録でなく、めんどくさいことはめんどくさい、でもちょっと苦労してやってみる価値がありそうだ・・というようなスタンスに好感が持てる。

文中に出てくる「ペイフォワード」の考え方、自分が誰かに何かをしたら、自分に返してもらうのではなく、その誰かが別の誰かに繋げることを望む。その別の誰かはさらに別の誰かに繋げ、社会に好環境がうまれる・・ナオコーラさんの仕事でいえば、賞をとるためや、読者を喜ばすために物を書くのでなく、「読んだ人がまったく新しい社会を思いつくだろうと何か光を信じるような、大きな気持ちで執筆に臨むことで、傑作が生まれるかもしれない環境が整う。家事や育児も夫に感謝されるためにしているのでなく、もっと大きな場所に向かってしている」という文章*2、こういう発想に惚れる。

プロフィール欄の

目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

もいい。

こどもが出てくる描写も介護にも通じるような、相手の気持ちの尊重と自分の都合のせめぎあいなどが愛情深く面白く表現されていて秀逸だった。

人のセックスを笑うな」も、今ならもう少し深く味わえるかもしれないと思えてきた。(そもそも原作は未読だ。)