90年代の阪本順治監督作品

90年代の阪本監督の映画を続けて二本。

「王手」(1991)

トカレフ」(1994) 

 

 「王手」は将棋の真剣士という耳慣れない言葉が出てくる。つまり賭け将棋で生計を立てている人のことらしい。赤井英和がその役。賭けなど一切しないプロ将棋の世界と一線を画しているが、アマチュアがプロに挑戦という企画があったり、幼馴染がプロの世界の人間だったりして対比的にそして、意識するカタチで描かれている。なんでもありのいかがわしい世界に生きている真剣士の赤井のたくましさ。大阪の庶民の応援。(中央へのとりあえずの敵愾心と、この映画の中では、赤井が勝つと借金がチャラになるという流れがあって余計に赤井に対してものすごい肩入れであった。)赤井氏も「トカレフ」の主人公大和武士氏も元ボクサーだが、確かに勝負ごとをする人間の目の座り方、迫力は格別で適役と思う。対してオーソドックスなプロ棋士の道に進み、ややこしいことにかかわりを持ちたくないクールな加藤雅也。こちらが私にはえらく魅力的にみえた。インテリセクシーみたいなものを感じる。

そしてなんといっても一番素晴らしかったのはこれが遺作となった若山富三郎。年がいって表面は決してがつがつしていないのだけど、本物の実力者のこわさが滲み出ている。なんともいえず魅力的な枯れ具合。脚本は豊田 利晃氏と阪本監督。豊田氏、「青い春」や「空中庭園」などの監督作品からちょっとひりひりした空気を描き出すイメージをもっていて、「泣き虫しょったんの奇跡」というタイトルだけみているとかわいらしいような将棋がテーマの作品を作られ意外に思ったりしていたが、(みてないのであくまでもタイトルのイメージ。)もともと将棋をされていた方らしい。「しょったん」の方もきっと豊田監督が描きたいものが描かれている作品のような気がしてきた。

「王手」では広田レオナの浮遊感も生かされていたなあ。こういう魅力の人か!と私生活のことなど色々と勝手に合点がいった。

「王手」のあとに観た「トカレフ」は、「ビリケン」や「王手」などの新世界ものとは一線を画すシリアスさ。ものすごくテンポがよくて入り込める。タイトルだけみて、ドンパチやっている映画かと勘違いしていたが、日常にひそむ鬱屈の描き方が秀逸で、狂気じみているけれど理解できるというこころの状態の描き方が素晴らしい。この感覚をもう少し陽性に転化させたのが、藤山直美主演の阪本作品「顔」(2000)かな。とんでもないことをしでかすのだけど、突拍子もない感じがない。こういうこともあるかもと思わすような存在感。「顔」でも佐藤浩市が何かやらかしているのだけど女からみてものすごい魅力のある人間を演じていたが、「トカレフ」でも、佐藤浩市の魅力がうまく生かされていて、筋にリアリティをもたせている。