ドキュメンタリー映像集成 文化・記録映画でよむ現代日本 第1期 7 子どもたちと民主主義-シリーズ2

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 先日ETV特集*1で羽仁進の「教室の子どもたち」の、脚本なしで子どもにカメラに慣れてもらう手法でのドキュメンタリー撮影についてとりあげられていて、興味深くみていたのだけど、今回その現物をみることができた。

それとは対照的に脚本のあるドキュメンタリー「子ども議会」の方も観る機会を得た。

映画の現場にいらっしゃる神戸山さんのブログ「二ペンスの希望」に「子ども議会」についてこう書かれているのだけど、

イマドキならヤラセだと批判されかねないほど「言わされている」感丸出しの子供たちの演技。しかし、棒読みセリフの隙間を縫って、子供たちの〈素〉の姿が仄見えてきて、実に微笑ましいのだ。当時の少年少女たちの純情なる〈地肌〉が生き生きと伝わってくる。

確かに、言わされている向こう側に子どもたちの地肌がみえた。ちょっとした小競り合いが起きているシーン、この子どもたちの言葉遣いや呼吸がいかにも東京の下町の子という感じで楽しい。またまず驚いたのは昭和27年のこの作品、慶応病院の近くの四谷左門町だとかそのあたりのエリアのようなのだけど、まだまだ焼け野原ばかりにギリギリ家が建っているような状態であったこと。どんな戦争のドラマよりもリアルに戦禍を実感した。日常の中の風景だからこそだと思う。

「教室の子どもたち」は時代を超えて、こどもたちの表情は楽しかった。ETV特集でも近年のお姿を確認できた方も出ておられて。中で使われていたどの子と仲良し、どの子が苦手、なんていうソシオグラムの調査などはとんでもないものをはらんでいるように感じたが。。

 

あと羽仁進が脚本を書いた1951年の「はえのいない町」という作品。これには驚いた。1951年ってこんな状態?と思うほど学校の中も魚の運搬にもはえだらけ・・だけど、確かに60年代前半生まれのわたしの小さい時、はえとり紙とかトイレや居間にぶら下がっているおうちもあったし、魚屋さんの店頭も結構はえが来たりしていたなあと思い出した。今の状況からみるとほんとにびっくりなんだけどこんな時も確かにあった。こどもたちの取り組みという風に作られているが、事実をそのまま追うドキュメンタリーというより科学読み物的にはえの卵から孵化していく様子などがとりあげられている。

 

1956年の「九十九里浜の子どもたち」も、義務教育にもいけないで、漁師の手伝いや子守りにかり出される子供たち、そして守りさせられている子どもを連れての登校などこれも、張芸謀の映画か?と思うような状況。でも自分の生まれる数年前までこんな状態だったんだな、そのあと、一億総中流みたいな時代が来るんだななどと思いを馳せた。

 

そして1954年の「月の輪古墳」。岡山県で住民が協力して古墳を調査、掘り出す話だけど、これまた住民の協力ぶりに驚いた。町内会でさえ離れていく人が多く、昭和とは違うなあという気持ちになっている今みると、この作品のような、地域の人間が心をあわせていた時代からなにがあって今に至っているのか・・自分たちが70年代後半によくいわれていた「しらけ世代」みたいな言葉、あの辺からもう今に至る道を歩んできたのかな、などとも思った。今、新しい形での助け合いというのがやはり必要だなと個人的には思っていて、強制的に全員参加なんて絶対無理だけど、たとえば学生さんがお年寄りの手伝いをするシステムなど作り始めている団地の話などにはとても興味がある。自発的ということがとても大事なキーなんだろうな。

町内会組織、去年久しぶりに役をしたとき、もっと広い地域の町内会長連合会の姿勢なども有無もいわせずずっとやっていることを強制する昭和からの空気はなりをひそめ、とても自由度の高いものになっているのだけど、有志だけの集まりみたいになりかけている。今年は新型コロナウィルスの影響で京都でもさまざまな地域の行事が早々に中止を決めていて、その中でやれる形を模索するのでなく、ちょっと面倒だったからという理由で廃止する良いきっかけと考えている向きもありそうで、もちろん、精査はしていくべきなのだけど、個人に負担はよくないけれど、最低限なにかあったときに機能できる地域コミュニティの良い姿ってないものか、地蔵盆というのは難しい形でなく、近所の人とちょっと知り合えるよい機会なのに・・と気になっている。

町内会活動に関していえば災害への備えなど積極的にされ町内のプールしているお金から備蓄を買ったりという取り組みをされているところなど、自分が役をしておきながら、そこまでの実行力がなかったので、反省したりもしている。古い良きことはかろうじて守れても新しいことをする胆力はなかった・・