vhsにて鑑賞。
接客仕事&家で介護経験ありの自分にはぎょっとするような人物が話を引っ張っていき、なんというか普段は人を色眼鏡でみるのは良くないとか思っているはずが、「ん?この話の帰着点は?こんなお客が来たら嫌だなあ」と落ち着かない気持ちで観続けた。行き場のない二人の関係、それが熟していくのはわかるし、わたしからみたらコワいなあという主人公の女性も、自分なりの理屈で判断したりしていて無軌道とかではないのだけど、ちょっとP・ジャクソンの「乙女の祈り」*1系の、内発的な感じで動いていて、ひたすらみている自分がむしろ被害者に近いところにいると感じ続け脅威に思ってしまう。「乙女の祈り」よりは、相方がまともな判断も持ち合わせているのだけど。「俺たちに明日はない」系のやむにやまれぬ犯罪の末の逃避行とかなら入り込めるのだが、ものすごく自分の中で追い詰められている人の話でそれをみるのがしんどいのだった。どなたかが、ネットで自分も年をとってこの映画に入り込めないと書いておられたが、わたしもそんな感じ。でももしかしたら昔から、自分は追い詰められてめちゃくちゃになっている系統のストーリー、つい迷惑かけられる側が気になってしまう方なのかもしれない。(「バッファロー’66」とかでも、状況を容認するまで時間がかかった。結果的にイイ話だったが・・)
「この悪い人を私が更生させる」の心理はよくきくし、そのグループの物語だとは思う。最後のシークエンスで、この関係は交際している他人同士というより、親が子に対してかける気持ちに近いものになっているのでは?と思わされた。映像はとてもきれい。
あとから、ジャケットの淀川長治さんの推薦文をみていると、
近松と鏡花と谷崎、そしてワイルドを絹のベールで包んだ、泣叫ぶ 恋の悲歌。
これほどの愛を描いた映画は生涯初めてだ。
と書かれていて、 ここに並べられている作家たちは不条理だったり残酷だったりする面も持ち合わせているものな・・まだまだ私の修行が足りないなという気持ちにさせられた。
ふと書き終わった後、「関連記事」にあがっている記事から「ブッチャー・ボーイ」*2のことも思い出したけれど、あちらはとても好きでこちらはちょっと入り込めなかったのは、あちらの持つ妙な明るさ故だろうか・・
この映画、パーシー・アドロン監督の「サーモンベリーズ」なども少し思い出した。これも身近な方のフェイボリットムービーだったのに、私は、主人公k.d.ラングのぶっきらぼうな感じにちょっとついていけなかったりしていたのだった。映像はとても美しかったのだが・・