フェイクと憎悪

トランプ政権の樹立以降だろうか、為政者にとって都合の悪い話はフェイクニュースといわれてしまうような、また多くの人々が裏ドリを一応ちゃんとした既成の報道でなく、ネットをたよってしまうような昨今、どのように現状をよい方向に持っていったらいいかということを各々の立場で一章ずつ書きわけた本。
以前はそれなりにたのしくみていたはずの関西発の放言番組、ここ数年見るに堪えない調子だなと思っていたら、先日大問題を起こした「ニュース女子」との関連もこちらの西岡研介さんの文章に載っていて、そういうことかと納得したり、ほんとに昨今こういう調子よ、と嘆く側の立場で読み進めていたが、ジュンク堂書店難波店店長福嶋聡さんの、自分と意見の違う人間の言葉もきくための棚ぞろえという話に考えさせられる。
また編者の永田浩三さんのあとがきにある、赤報隊事件のあと、三十年にわたって犯人を追い続け、手がかりを求めて会う、ほぼすべてアンチ朝日新聞の人々を相手に、歴史、とくに戦争についての考え方で相手と大きく意見が異なるときは論争をいとわず、その中で右翼や暴力団からも一目おかれ、「新聞と戦争」という連載を生んだ樋田毅記者のことも心に残った。朝日新聞が戦争に加担した時代の検証した記事は連載当時気になっていたが、そういう背景があったんだ・・
著者が多数であるということから多角的かつ、全体に読みやすく書かれており、また編者のバランスのとれた視点も好もしかった。

☆この本をお読みになったかなさんからも感想をいただき、御許可をもらったのでかなさんの感想も以下載せておく。

私達は実験されるモルモットのようなものなのだろうか?一方向のある意図をもった情報、とも言えないモノを浴び続けると「考えなくなる」「見たいもののみを見、信じたいものだけを信じる」ようになる、と実証されつつある実験の。

この本を読むうちオーウェル1984』、手塚『火の鳥未来編』を思い出した(オーウェルは後書きでも触れらていた)。『1984』はスターリン下のソ連を想定したものというが、まさに21世紀の今ではないのか?“ビッグブラザー”は一人ではなく、世界中に増殖している。

2018 9/20 杉田水脈氏を巡る話が「新潮45」に載り、その後twitterで自分の信頼している人たちがそのことについて語っているのをみて(こちら参照)どちらの意見もきくようにするというようなことが通用しない場合もあるな、ある意見として出してしまったら明らかに間違っている事でも信じ込んでしまう人が生まれる危険性があるなというようなことも考え始めた。
自分が正しいと思うことを疑いもしない危険性というものを常に意識しつつやはり、できるだけ正しいと思うことを発言していかないで呑まれてしまっては後悔が残るなということを感じたりする昨今である。


フェイクと憎悪 : 歪むメディアと民主主義

フェイクと憎悪 : 歪むメディアと民主主義