人生は六十一から

1941年斎藤寅次郎監督作品
ビデオ同梱の山根貞男さんの解説によると、当時の映画評はあまり評判がよくないらしい。山根さんもテンポはそんなによくないし、ギャグも弱いとしながらも、「が、妙なおかしさがある。話がどんどんズレていく迫力というか、画面展開のデタラメかつ柔軟な勢いというか、それが独特の笑いを煽り立てるのである。明らかにエンタツアチャコの漫才の魅力はそうしたズレにこそある。」と書かれているが、とにかく私にはなかなかほほえましく楽しい映画であった。
エンタツ演じる主人公は固形ガソリンの発明に血道をあげたあげく失敗、成功して家族にお金を渡せるようになるまでは帰ってこないと家族を置いて断りもなしにそのまま出奔するような、現代の日本では愛すべき主人公には据えられにくい、いうならばチャウ・シンチ―の映画かと思うような身勝手スタート。でも息子のことは心配しているようなところはあり、エンタツさんの愛すべき雰囲気もあいまって、しょうがないなあというようなストーリー運びになっている。

映画の惹句には「……今や世を挙げての科学振興時代!」とあり、“科学”ということが国家的規模で強調されていた。文部大臣が“科学する心”を唱道したのは一年前の一九四〇年のこと

と山根さんの解説にあるのだが、“科学する心”という言葉、大正12年生まれの伯母がふざけてよく使っていた。これが語源だったのか・・

一度気になったらもう映画に出てこられるたび気になってしまう高勢実乗氏、この映画でも活躍。「アノネオッサン」も「カナワンヨ」も出てきた。御前様のモーニングだかを洗濯屋にもってくる羽織袴の執事のような役だがこの人が出てくるとあやしくておかしくて・・今や自分は高勢さんを映画で追っかけている。