京都ぎらい

著者の井上章一さん、テレビなどで毒を交えつつ、飄々とした発言をされているイメージがあるけれど、この本の色彩がまさにそういう感じ。井上さんの育った嵯峨が洛中(わかりやすくいうと京都の旧市街とでもいおうか・・)でないことからやんわりと洛中の人間から蔑まれた経験をベースに話が展開しているが、その洛中の人というのが、京都はおろか、全国的にちゃんとした評価のある人物で、それが実名表記なので驚く。やんわりして、冗談めかしているけれど、いいにくいことをいう・・ってまさにこの本自体が京都の雰囲気でもあるような・・(自分は嵯峨育ちで宇治在住・・京都人を名乗る資格はないとしつこいほど書きつつも、京都人に蔑まれ意識するあまり似てきているかもしれないなどということも書いておられる。)
ちょうど天龍寺に行ってきたところなので、尊氏と後醍醐天皇の関係を、「隠された十字架」に書かれている、聖徳太子の霊をしずめるための法隆寺という説とからませて考察してあるところも、井上さんの年齢とともに井上さんの感じ方が揺れ動くことが書かれていておもしろかった。生産性ばかり追い求めて突き進んだとき、人間ってふとバランスをとりたくなるような気もするし、「勝」とか「得」とか「楽」とかばかりだと、なにか違う方向のこともしたくなる・・というのは私の気持ち。
尊氏の頃までは、とりあえず自分が滅ぼした相手を魂しずめの意味で祀っていたものが、明治維新から新政府は賊軍とみなした側の死者を祀るわけでなし・・靖国神社も自分の味方側だけであり・・という考察、君が代、日の丸というのは東京が首都になってからの新出来の象徴でしかありえないという主張も、そこを主張する人はわたしの不勉強ゆえ井上さんの著作で初めてだったけれど、私の知るところの、京都にいる人の考え方のベースが表現されていて興味深かった。
あと、北山通におしゃれブティックが集まった理由として、植物園に占領軍の宿舎が並び、洋風のぜいたくな商品が並んだところからという説明、ちょうど先日、京都市明細図オーバーレイマップというのを教えてもらって、色々な場所が進駐軍の土地として記録されていたりしているのをみていたもので、なにかその時代の京都のことを知りたくなっている。

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)