BILLY BAT 18

読んでいるうちに、「BILLY BAT」の描き手の変遷はダライ・ラマの転生のようなお話なのか・・と思ったり・・
ターバンを巻いているような地域で、自由に絵を描くことへの弾圧のような話が出てきていて、今の時代の出来事をもちろん思い起こさせられドキドキするほど。あまりに生々しい、でもちゃんと知っているわけではない出来事に対しては、軽々に意見はできないけれど、紅衛兵の出てくる話を読んだり観たりするときのつらさにも相通じる気持ちを味わう。
蛭子能収氏が1月6日の朝日新聞に「自由とは何か」という話を書いておられて、 
少し引用すると

誰に束縛されることなく、人に気兼ねせず、ほんとに好きなこと、やりたいことをする。それが僕の考える自由です。

中略

自由実現のためには考えねばならないことがいくつかあります。好きなことをするためにはお金が必要で、その金を稼ぐ仕事の際には自由をある程度犠牲にせざるを得ない。

中略

次に、他人の自由を尊重しなければならない。〜中略〜人に気兼ねするのが嫌だと言っても、万が一ひとの恨みを買って、それがケンカにでもなって、そのあげく殺されでもしたらかなわない。死んじゃったら、自由も何もないじゃないですか!

「死ぬ」って嫌です。ついでに言えば、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対やってはいけないと強く思っています。

自分の地平からの意見にその通りと思ったのだけど、自由を侵害されることのない世の中でずっとありますように。

BILLY BAT」に戻ると、この時代にあえて紙の出版権だけ得たカルキンの元会長の動きはおもしろい。どきついところもある彼女だけど、たくましさを感じ、彼女が出てくると、なんだかほっと一息つけたりする。弱小チームが大きなチームを追い出されたものを味方につけ戦いを挑むストーリーの予感。。

BILLY BAT(18) (モーニング KC)

BILLY BAT(18) (モーニング KC)