ぼくらの民主主義なんだぜ

昨年9月の安保法案の採決の時によく話題になっていたので、その流れの中で現政権に反対を唱えている本というイメ-ジがあったのだけど、偏りは感じられなく、対話してよい世の中を作っていこうという本だと思った。
朝日新聞の「論壇時評」(第四木曜に載ることが多いのかな・・)に載った文章がまとめてあるのだけど、恥ずかしながら新聞の政治だとか総合だとかのコーナーをちゃんと読む習慣がなかった自分にも理解しやすい文章。

心に残った箇所

p54 「普通に生きる」という映画について

重症心身障害児(者)を持つ親たちが子どもたちのために通所施設、すなわち社会と交流できる場所を作ろうと奮闘する。
(中略)
完成した施設「でら〜と」の所長は述懐する。
「この子は私が見ないと駄目だから……といって囲ってしまったんでは、社会も育っていかない」
体も動かず、ことばも発することのできない心身障害児(者)が、親を動かし、成長させる。そして、その親たちが、鈍感な社会をまた成長させてゆく。常識とは異なり、弱いもの、小さな者もまた、強い者、大きな者を育てることができるのだ。

p67
湯浅誠さんの言葉(ブログの「内閣府参与辞任について」から)

原理に固執する社会運動の側から、「お上」と協働すること自体が妥協的だと批判されることも多かったが、そのことへの答えとして、

敵を探して叩くバッシング競争から遠く離れ、許容量を広くとり理解と共感を広げ、相手に反応して自分を変化させ続けていくしかない。

そうまでしてもコミットし続けるるのは、

――民主主義とは、どんなに嫌がっても、主権者から降りられないシステムなのです

p89
尖閣諸島に香港の活動家が上陸したというニュースに、高橋さんが「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事項が放っておかれることの方が心配だ」と答えたところ、「非国民」「国賊」「反日」「死刑だ」などのtwiterリプライが高橋さんあてに届いたことから

「国家」と「国民」は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。誰でも「国民」である前に「人間」なのだ


p100
古川美穂さんという方が「世界」2012年12月号「協同ですすめる復旧復興」で紹介された宮古市重茂協同組合の、

「政府の決めるのを待っていたのではどうにもならない。この重茂の行くべき道をみんなで話し合って決めないと」

と、残った船を漁協で管理し、水揚げはプールして平等分配することによって復興が早かったこと。

P155
曽野綾子氏の「出産したら女性は会社をおやめなさい」という趣旨の発言(「週刊現代」2013年10月7日号 「セクハラ・パワハラ・マタハラ 何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たちへ」)を受けての「甘えているわけじゃない」という記事。
上野千鶴子氏は
「このやりかたは生活保護不正受給バッシングと全く同じ」(「婦人公論」)
高橋秀実氏は
「どんな制度でも悪用したり甘える人はいるものです。だからといってその制度自体が悪いわけではありません」(「婦人公論」)

そして源一郎さんの言葉

在日、生活保護受給者、公務員、等々。彼らへの糾弾は、その中の少数の「違反」者を取り出し、まるで全員に問題があるかの如く装ってなされる。そこでは彼らの『特権』(があることになっている)が怨嗟の的となり、やがて、およそ権利というものを主張すること自体が敵視されることになるんだ。

うーん、これものすごくわかる。

読んでみたくなった本 都築響一の「独居老人スタイル」

独居老人スタイル (単行本)

独居老人スタイル (単行本)

TOKYO STYLE*1の姉妹編かな?